この世であまり好きでは無いもの、覚悟無き言動とリスクヘッジ下手がする負け犬の遠吠えなので、正直主人公に対して同じ女としても「自業自得」としか思えなかった。
それでも起きてしまったことにアンヌが全身全霊対処していく3ヶ月はとてつもない緊張感を帯びていて、たとえ自分の子供だとしてもお腹の中で少しずつ育っていく命を異物と感じてしまう恐怖に少しだけ震えた。
暑さに体力は奪われ、唐突な吐き気に襲われ、子宮が日に日に膨らんでいく。
自ら望んだ妊娠で無ければ、それは自分の身体が、人生が乗っ取られていく恐怖そのものではないか。
アンヌに決定的に欠落していたのは「母性」だ。
自分の未来に対する大きな期待と圧倒的な憧れに脅迫されているかのように追い込まれる様は、母親になるにあたり全く精神的に成熟出来ていない。
だからこそ、中絶の許されない環境下でなぜ奔放に振る舞うのか全く分からず、遂に理解できなかった、だからこそ「彼女を追体験する」のようなキャッチコピーにもノーサンキューとしか言えない。
とはいえ、子供を堕ろすにしても避妊薬を飲むにしても身体に影響が出るのは女だけ。
まだまだ若かりし頃、時間との闘いで焦りながらクリニックに駆け込み一粒7000円もする薬を飲んだことがあるけど、兎に角副作用が酷くて1ヶ月はまともにご飯が食べれなかったし、今思えばあれは軽く鬱だった気がする。
妊娠の可能性を、あり得たかもしれない存在そのものを根こそぎ消すことの代償というのはこういうことなのかもと身をもって学んだ過去がある自分にとって、中絶シーンはあの描き方でよかった。
生死には、痛みが伴うということ。
それは良くも悪くも女だけが、母胎のみが感じ取ることができる。
観ている内に「岬の兄弟」のラストシーンが脳裏をよぎった。
本能的に、母性に突き動かされた女の慟哭。
と言いつつ、中絶を許された環境下か否か、というのは随分人々の人生に影響を与えただろう。
法で定められた倫理観の押し付け、それによって大幅に狂うのは生物学的に見ても女側の人生だ。
そんな時代を生きていたら...考えただけでもゾッとする。