【命の価値とは】2023年25本目
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。
弁護士のファインバーグは補償基金プログラムの責任者を任され、テロ被害者や遺族に対して、限られた補償金をどのように分配するか、その"命の値段"を一人一人に与えるという難題に取り組むことになる。
ファインバーグは皆に平等に分け与えるのではなく、年齢や職業などを鑑みた生涯年収から補償金を算出する計算式を採用した。
つまり、ビルの清掃員と高層ビルのエリートサラリーマンとは補償金は異なるということになる。
はじめはバイアスがかかることを懸念して被害者らの意見に傾聴することをしなかったファインバーグだが、当然の如く納得しない被害者らの申請率は上がらない。
様々な人々の思いを聞き入れることに注力し、彼は理論的にではなく、感情を持って人の命に向き合うことでプログラムを成功に導くのでした。
非常に感慨深い内容でした。
事件現場へ向かった救急隊員の夫を亡くした妻の意見にも同情します。
でもじゃあどうすりゃええねん!
って私なら頭を悩ますでしょう。
計算式にのっとって補償金を決めていく機械的な方法は、人の命に対する向き合い方としては確かにあまりにも無慈悲な側面もあります。
命が+とか=で繋がっている感覚はどこか違和感があります。
個から集団に投げかけられている感覚は、どこか孤独や不平等さを感じるのでしょう。皆、自分の境遇や、亡くした愛する人の生きた価値を認めてもらいたい。
これを一人一人受け止めていくことが出来れば良いのですね。
心の痛みは数値化できない。
人と向き合うことの大切さを知ることができました。