せいか

叫びとささやきのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

叫びとささやき(1972年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

イングマール・ベルイマンの作品は昔からちょこちょこ観ており(現状、『冬の光』がいちばんすき)、本作も有名どころの一つではあるのだが、今に至るまでひたすらに後回しを続けていた。『ミッドソマー』が話題になったときもなんかひもづけられて本作も注目されており、その時にも、みなきゃなーみなきゃなーとは思っていたが、観なかったからここに至る。
   → 余談だが、本作を観た感想で言うと、たぶん、人間同士の感情の分かり合えなさや無理解、無関心といったところが、『ミッドソマー』に通じるのだろう。


おめーはもうくたびれたババアなんだわ描写を上品な言い回しで丁寧に描いてる箇所があり、ちょっぴり涙ちょちょぎれる。そういうおめーも同じだけ年取ってくたびれてるけどな!ってやり返していたけれど。つよい。
それはともかく、ここで男が三女を表する描写は、彼女の人となりをほとんど完全に表現したものでもある。視線は落ち着きがなく、無関心と優柔不断がその目と皺に刻み込まれているのだと。彼女はけっして無垢ではないが子供っぽく、だが歳だけは重ねている。そして彼女が男に切り返したように、それは反映でしかないのだ。大半の人間だってそれは変わらない。彼女の顔は世の中を映した鏡でもある。

強烈で痛いほどの赤に包まれた世界。作中の登場人物たちはどこかしら精神的に未熟で甘えたところがあるので(ある豪邸での話なのだが、召使いのハンナに甘えきって赤子が乳をせがむようなことをする次女とか、富裕層なら自然なことではあれど、服の着脱を徹底的に手伝ってもらう姉妹の描写とか、ひとりきりの召使いを母親のように見立てている描写が多い。奉仕されているというより、世話を見てもらっている感)、肉や子宮のイメージなのだろうと思って観ていた。
   → ちなみに召使いのハンナは幼い娘を亡くした女性という設定がある。
そこに入る差し色として服飾などは白と黒の二色が特に目立つ(次女が死ぬまでは白、死んでからは黒。ただし次女は除く。アンナもメイド服なのでずっと黒いが、次女の別途の上では白い肌着である)。赤と黒のコントラストもなんとなく不安を感じるが、赤と白は不気味さというか、ヒステリックなものを感じるものなのだなあ。女性たちがいかにも無垢でふわふわとした裾の長い白を纏う箇所が多いが、赤い空間の中にいようと緑の中にいようと、そこには刺々しさが醸し出されている。
姉妹の母に関する描写も過去の思い出として語られるが、いつも何かにうんだように過ごし、子供への愛情表現も薄く(次女の目からは、特に次女には冷たかったようである)、母ということを放棄したような人物であったことが伺える。

ベルイマンの作品といえば、キリスト教の神への皮肉的な態度ご目立つが(神の沈黙三部作とか)、ご多分に漏れず、本作でもそうした要素はある。
物語冒頭からひたすら何かの病に伏せっており、眠るか、痛みに悶えて叫ぶか、弱った体で周囲に甘えて介護されるかといった調子だった次女だが、ひときわ激しい発作を繰り返した後、物語中盤において彼女は死ぬ。最後に窓の外の光へと視線を走らせていたのはいささか切ない。苦しんだ末にまだ苦しみ、彼女はこの胎の赤の中で死んでいくのである。神の奇跡などないままに。
そしてその葬儀の前に部屋の中で身内のみの簡単な告別式が行われるのだが、彼女の名付け親だという神父は定型通りと思しきやり取りの後、私たちの痛みを承け負って天の国へと行ってくれ。きっと苦しみに耐えてきたおまえの言葉なら神も聞き届けてくださるかもしれないから……といったことを願う。なんとも現世に生きる者たちの苦い残酷さと身勝手さをあぶり出したシーンである。人間は原罪など関係なく倦怠による罪にまみれているのだろうなあと、このシーンにしろ、作品全体を通してにしろ、そう思わせるものがある。

カメラカットは、赤い背景に姉妹たちのバストアップを移したカットが多い。そうしたシーンの時は彼女たちの繊細な心が表面化されていて、誰かに何かを言っているような時ですら、ひとりきりで暗く独白しているような錯覚を覚えさせられる。


長女がガラス片でうんだように、「何もかも嘘ばかり」と言いながら、夫とのセックスを回避するために、ガラス片で女性器を傷つける描写があったが、観ていて思わず、イタイイタイイタイ!と声を上げてしまった。
彼女はそれをしてからまるで絶頂したように喘ぐのだが、直後も、ベッドに横たわって脚を広げて血まみれの姿を見せつけた上に、その血を手ですくって口元に塗りたくってはまた吐息をこぼしたり、とにかくこわい。
彼女は母になることを忌避したということだろうけども。たぶん!

ちなみに末っ子の三女は一番あからさまに子供っぽく描かれており、次女が誘惑しようとした医者と不倫関係にあったり(そこで彼と上記のくたびれたババア会話をするのだが)、苦しむ次女に触れられず、事態が急変してもぼんやりと眺めていたりする(自分の夫の体に剣らしきものが刺さって助けを求められてもそうだったくらいである)。とはいえ、姉妹の中では唯一の子持ちでもあり、母でもある。ただしその自覚は薄いようにしか見えないが。
次女の死後に三女は姉に対してもっと親しくありましょう、もっとおしゃべりしましょうと好意を語るが、いかんともいいがたい嘘くささが滲んでいる。彼女が姉に言う触れたいのよは、決して次女に対しては出ないものだったなあ。対する姉のほうは触れられるのがいやでとにかくこれを拒絶するが、自分に向けられる好意や優しさに怯えている感じが強い。触れられると妙に官能的な様子を見せる。
   → ハンナと次女といい、長女と三女といい、レズビアン的な描写が挟まる。あくまでそれっぽく描かれているだけで、彼女たちの性的指向がそうであると導くものではなく、それを通して彼女たちのデリケートな内面を描くものであるのだか。
後のシーンでは、三女のことは憎んでいる、上辺だけのずるい態度が嫌いだ。あんたには憎しみを抱いて生きる人の気持ちなんて分かんないでしょうけどと本人に吐露する。この行為には救いも何もないのだと。そして相手が黙り込むとなじるのである。かまって欲しい子供のような癇癪である。そしてその直後に気の迷いだった許してくれと持ちかけて、二人は急速に親しげに言葉を掛け合ってはフレンチキスを挟み、互いに触れ合う。

翌日、アンナは死んだはずの次女と会話をする。彼女は死んだのに、みんなが心配で眠れないのだと言う。次女の発言から伺うに、あくまでもハンナ(というよりも女たち)の夢の中の世界であるらしい。窓からは白い光が射し込むが、レースのカーテンで尽く淡い光になっている。
姉には、冷めた手をとって温めてくれと願うが、彼女はそれを突っぱね、あなたの死には関わりたくないと言い放つ。「愛してるなら別だけど 愛してないからーー このまま大人しく死んでいてちょうだい」。
別に呼び出した妹にも同じことを繰り返すと、なんと彼女はベッドに腰掛け、当然よと寄り添ってやる。そして昔の思い出を語りかけるのである。次女は彼女の顔を両手で撫で回す。昨晩、三女が長女にしたように。その間、彼女は怯えて受け入れていたが、キスをされると慌てて彼女を突き飛ばして逃げ出し、叫ぶ。部屋の外へ飛び出すとさらに他の部屋へと逃げ出そうとするが、扉が開くことはない。
アンナが次女の介抱をし、自己犠牲を名乗り出ると、三女は即座に夫と娘を置いていけないと伝えてと鋭く言い返す。長女は「あの子は死んだわ もう腐ってる」と厳しく言う。アンナはそれでも一緒にいると言うと、ドアを閉める。えぐい。
それからアンナはベッドのうえで片乳を再び剥き出しにし、赤子のような死衣に包まれた次女に膝枕をしている。また彼女はここで母親の役割をしている。アンナのアップ、沈黙。

それから夢の世界は終わり、葬儀は終わる。
作中でも姉妹が話していたように、彼女たちは屋敷を売り払って出て行くらしい。
アンナの行く末の話題も再び出るが、男たちが混ざろうとも話す内容は冷たいままで、12年間勤めた彼女の行く先を心配してはやらない。慰労金も支払う義理はないと突っぱね、姉妹が約束したから仕方ないと、形見分けを渋々許す始末である。形見はいらない、暇を出されるのも甘んじるという彼女にも冷ややかに肯くだけで、何らの愛もない。そして上っ面の感謝の言葉だけを吐いていく。妹は夫から幾ばくかの金を受け取ってそれを手渡しはするが、見放していることに変わりはない。自分のための手切れ金でしかないのだから。
別れ際に姉妹は仲を深めたことを確かめ合い、長女は、それを忘れないで、「わたしは変わった」と持ちかける。だが妹の眼差しが信じられずに、次の瞬間にはその本心を疑い始める。妹も苛立ち、人のいい顔を捨てる。私に触れたと詰り寄られれば、何を言ったかなんて一々覚えていられないわと突っぱねる(これが本性に近いのだろうが)。そうしてまたこの二人の間には埋めがたい溝ができる。
アンナは一人、召使い部屋で、こっそり盗んだのだろう(そして彼女が自分たちに感謝している文章に目を通しておいて気付かれなかったのだろう)、次女の日記を広げると、その内容を声を出して読む。ある日、彼女を訪ねて屋敷に来た二人と散歩をしたこと(この回想では、付き従うアンナを含む全員の服がまた白に戻る)、少女にもどったように楽しかったこと、ブランコに乗って(あの向き合う形の大きいやつで、ここでは揺りかごの暗喩になっている)アンナに揺らしてもらったこと、この時には、大切な人たちに囲まれていたから苦痛が消えていたこと、からだのぬくもりを感じられたこと。「“時よ 止まれ”と願った これが幸福なのだ もう望むものはない 至福の瞬間を味わうことができたのだ 多くを与えてくれた人生に感謝した」

美しい思い出の映像で物語は終わり、一点、赤い背景に白字で「叫びもささやきも かくして沈黙に帰した」と記されて物語は終わる。つらい。

長女と三女は子宮からあの状態で生まれ出で、帰る場所も自分たちで葬ったのだなあ。
病に蝕まれ苦しみをただ耐え、その末に冷え切った館の中で死んでいった次女はここぞとばかりに他人の苦しみを背負わされ、二人を心配して夢に現れてもその本性を見せつけられただけで痛みのうちに沈黙し、アンナは夢の中でもそんな彼女の痛みを受け入れる母となってこれを見送る。だが、そうした彼女が現実で報われることは(次女同様に)ない。
ただ美しいのは過ぎゆく時間を無視して書き留められた日記の中の彼女たちだけで、そこではまさしく「時は止まって」いるし、揺りかごの世界はどこまでも優しい。

現実は刻一刻を刻む秒針ごとに人間は死に近づき、老いさばらえる。繋がりたくても繋がれない人々と、けして交わらない不器用な愛は落着せず、無関心に包まれた世界はひどく冷え切っている。
これでは神も救うまい。
せいか

せいか