げんぐ

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島のげんぐのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

これはガンダムを使った時代劇

初代ガンダム15話を翻案とした作品と冒頭にもある通り富野監督が描いたファーストガンダムではない。
安彦監督が長年かけて漫画という形でリメイクしたガンダムであり『THE ORIGIN』というOVAの延長線上にある作品。
なぜ『THE ORIGIN』の名前を冠しなかったのかが不思議である。

色々な違いはあるのだが、本作を観てて一番感じたことは「キャラクターが違う」「アムロがアムロではない」という事だった。
戦争で巻き込まれる形で少年兵となったアムロが戦争の影に追われながらも戦っていくのがガンダムという作品の根幹にあるが、この作品はその悲壮感を意図的に極力薄くしている。ドアンと暮らす少年少女と並列に置くことで、アムロを素直な少年として描いている。
その為、富野監督ならこんな台詞は喋らせないなと感じる部分が随所にある。それは他のホワイトベースクルーにも言える。
その一方でオリジナルキャラクターのカーラはとてつもなく優しい声と母性溢れるキャラクターで、この作品の大きな魅力であり、安彦さんのやわらかい絵と伴ってこの作品の優しさを象徴するキャラクターになっている。

ファーストと共通する部分も多分にある。地球の小さな島で描かれるガンダムは「最初のガンダムはこういう土臭い作品だったよな」とい事を思い出させてくれる。ストーリーも同様で戦争を描いているが、戦争の中で暮らす、生きるという事を普遍的に説いていく部分には共通したものを感じる。

この作品の大きな特徴は安彦さんの画や細かな動きだと思う。
喋るキャラクターの一言一言に演技が付き、走る、泳ぐといった動作の一つ一つに”らしさ”が浮き出てくる。得手不得手、緊張しているのかリラックスしているのか…そういった事がセリフではなく動きから感じられる。それはCGで描かれたモビルスーツも同様で、動く際のテンションの掛かり方や操縦者の癖を感じることが出来る。ギターのチョーキングの様な余韻を残すキャラクターの演技は安彦監督ならではないかと。

元の15話もそうだが、この作品はモビルスーツよりキャラクターに比重を置いている、その為、モビルスーツとしてのアクションは少なくないが、現代の技術で動く初代ガンダムのアクションを楽しむという部分では少々物足りなさを感じる。
終盤のガンダムは水戸黄門の印籠の様な存在となっている。灯台の灯りをバックに浮き上がる様に佇むシーンや、ビームサーベルを2本振り被って一撃で切り捨てる様はモビルスーツを使った時代劇の殺陣を思わせる。
確かに格好いいのだが、もうちょっと魅せてくれよ!っていうのが正直なところだ。

やはり富野ガンダムではない。この部分を割り切ってしまえば、後腐れなく楽しめる、ドアンザクのデザインなどファンサービス溢れる作品なのは間違いはない。富野節といわれる独特のセリフ回しなども無いため、癖なく今のファーストガンダムの世界観を感じることができる作品。
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