ちょげみ

僕が愛したすべての君へのちょげみのレビュー・感想・評価

僕が愛したすべての君へ(2022年製作の映画)
4.0
並行世界を行き来することができる世界を舞台に、同じ名前を持つ二人の少年がそれぞれの世界で一人の少女と恋に落ちる姿を描くラブストーリー。


一見したところティーテイジャーの青くて若い恋愛を描いたライトなストーリーかと思いきや、意外や意外、けっこう本格的なSF設定を軸にし、かつ二人の恋人の一生を腰を据えて描いたラブストーリーだった。

正直、こうまで心を抉られると同時に満たされる作品だとは思わなかった。。。
自分の心のセンシティブな箇所にハイパーメガ粒子砲ぶっ放された気分。
あまりにラストシーンとそこからの歌の流れが眩しすぎて視聴後10分間は目を開けることすらできなかった。。。

というと大袈裟だけど、要約するとめっちゃ好きです。



"あの時こうしていれば今頃どうなっていたんだろう..."みたいな、あり得たかもしれない無数の可能性を描いた作品というと、記憶に新しいのは「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」とか「アバウトタイム」とかがあるけれど、つまるところこれらの作品でマルチバース的設定が使われるのは"現状の自分を肯定するため"なんですね。

それで本作も例に漏れず並行世界の可能性を見ることで主人公が現状肯定して終わり、みたいな話なんですけど、彼が出した結論がまたいいんですよね。

"可能性ごと愛する"

他人を大切にするためには自分にもっとゆとりがないといけない、器が満たされていないといけない、みたいな言葉がある。
そうはいっても僕らは心のキャパリティが満タンまで満たされることがほとんどないゆえに、どうしても愛する対象というのは限られてしまう。
自分を含めた全てを愛するというのは一般的に博愛主義者みたいに言われるけども、現実的にはそんな人はいないわけで。
どうしても愛する対象は限られていて、それに加え、そこに注ぐ愛の量もまばらになってしまうというか、全てを受け入れ、全てを肯定するというのはできそうもない。

でも、もしも器がたぷたぷに満たされていたとしたら?

主人公は老年にさしかかり、そしていよいよお迎えも近いというときにこの言葉を口にする。

途方もないほどの可能性があるという事を知りつつも、その言葉が内包する重さに耐えられるほどの器を手にした彼は、自然とこの言葉を口にする。
"可能性ごと愛する"

なんかうまくいえないけども、自分が救われたと感じる瞬間があるのだとしたらこの境地に達した時なんだろなぁと思いました。


そしてまた、このマインドに達することができたのは主人公が魔王を倒し世界を救っからでも、巨万の富を得たからでもなく、彼女との何気ない日常、別の言葉で言うところの小さな幸福を積み重ねたから、というのがまた胸にじーんとくるんですよね。

(安っぽい日々を送ろうね 

下らない話をしようね

朝涸びた朝を重ねては幸せだと笑おうね

きっと先のことはわからない 今はただ

しなだれた貴方が涸れる事のないように歌を歌うのだ

須田景凪 -雲を恋う)
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