シズヲ

キリング・オブ・ケネス・チェンバレンのシズヲのレビュー・感想・評価

4.5
「誰がボスなのか教えてやる」

米国社会が孕んだ歪みの連鎖。結託する“人種差別”と“公権力”。その犠牲となる社会弱者が抱く“警察への不信感”。そうして向けられる不信感を口実に、警察は更なる暴力と差別へと突き進む。猜疑心が次なる猜疑心を生み続ける。

そのスパイラルに拍車を掛けているのが、銃社会や貧困・格差という“犯罪を誘発する社会構造”であることが伺い知れる。ケネスはあのドアを開ける訳には行かなかったし、警察官はあそこから退く訳には行かなかった。同じ米国民であり人間同士である彼らが、社会が生む土壌によって“生存競争”へと突き動かされている。そして最も恐ろしいのは、そうなった時に“警察は圧倒的な暴力装置と化すこと”なのが改めて分かる。

物語はひたすら“ケネスの部屋”と“アパートの通路”だけで進行し、“扉一つ”だけが場面を分断する。潔いほどにミニマムで無駄がない。この構図が前述した米国社会の歪みと結び付き、終始に渡ってサスペンスフルな緊張感を生み出している。このひりつくような空気こそが映画の異様な臨場感を構築し、同時に本作が実話を基にしていることの悲痛を噛み締めてしまう。幾度となく挟み込まれる“通話”が緊迫感と痛切さを加速させ続ける。

この事件において更なる焦点となっているのは“精神疾患”の存在であり、ケネスが抱く警察への猜疑心は双極性障害によって更に歯止めが効かなくなる。前述したように彼はあのドアを開ける訳には行かなかったし、そもそも開けられなかった。しかしライフガードからの報告があったにも関わらず、警察官は障害に無理解のまま警察の流儀で対応を続ける。黒人であり障害者であるケネスは二重のフィルターを通して観測され、それが事態の捻れを更に誘発していく。悲劇の要因は幾つにも重なり合う。

警察は“貧困地域に住む不審な黒人”への疑念や偏見を拭えないし、犯罪の温床になりやすい環境で“犯罪を見過ごして帰る”という職務上の失態も犯したくない。結果として強引な追求を繰り返したまま一歩も引けなくなるという負の縮図へと陥る。そんな押し問答の中で次第に見え隠れする“公権力”ゆえの暴力性と差別意識の恐ろしさは居た堪れない。

穏便な解決を望みながらも結局は現状に屈服するしかない新人警官、戸惑いを表情に滲ませていた中で「ニガー」の一言に激昂する黒人警官、彼らの存在がこの件の遣る瀬無さを際立たせる。そして全てが終わった後、淡々と流される“本人の写真”や“実際の事件の音声”もまた遣り切れない余韻を残す。
シズヲ

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