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てなもんやコネクションのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

てなもんやコネクション(1990年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

 山本政志映画祭にて鑑賞。前期作品を中心に観てきたが、まぁどれもパワープレイが過ぎる笑。今作品に関して言えば、はっきり言って映画として楽しめたかというと微妙である。ただ、そんなことすらどうでもいいかのような無茶苦茶パワーで観客をねじ伏せていく。ただただ、この熱量を掛けた映画が存在することに感謝だ。

 シーン馬鹿飛びする映画。集中力も続かないし、感情も置いてきぼりだ。このシーンの省略に、北野武の「3-4x10月」が脳裏を過った。今作とまさかの同年同日に公開もされている不思議な偶然!ただ、「3-4x10月」の省略はお笑い的センスで勝っているという印象。今作は、場当たり的に撮ったかのようで、観客に提示するには雑である。それにしても、共通する省略という行為に、起承転結ではないその場その場の面白さを捉えようとする両者監督の視線が窺える。

 その他にも、「3-4x10月」でのバーでのワンカットのシーンは、山本政志映画でよく見受けられる店内ワンカットシーンを彷彿とさせている。しかし、「3-4x10月」はセンスは良いがパワーで負けている。「てなもんや〜」に見る店内撮影は凄まじいパワーがあり、ドキュメントであり臨場感を伴う。閉じられた空間に集う和気藹々として陽気な雰囲気を山本監督は逃さない。

 他の山本監督の作品レビューでも述べたが、ロケ地優先・現場優先主義がこのパワーの所以である。今作品は特にそれが顕著で、香港、大阪、京都、東京をまたにかけてあちこちの風景をカメラに収めようとしている。しかも、そのどれもがどこか猥雑で汚くて、今にも消えて無くなりそうな風景ばかりなのだ。そして現に、今作に見た風景のどれもが、ほぼ完全に消え失せている。大阪釜ヶ崎の労働者が酒瓶片手にごったがいす、むさ苦しいが皆どこか陽気な姿が映し出される。それも皆フレンドリーで、仕事の苦労や路上生活を微塵も感じさせない。笑うと前歯は大抵無いことの衝撃。そして、ある一角を絵の具で染め上げて風船が飛ぶ一瞬のカットは、もはや虚構か現実かわからない(調べたらまさかの許可なしゲリラ撮影だったという笑)。また、京都では遊郭が取り上げられ、よくしゃべるおばちゃんと娼婦の女性という当時の風俗文化が顔を覗かせる。その他遊園地「花やしき」では、老人たちによるチンドン屋の可笑しさがあったり、香港の警察がウロウロする違法スレスレの緊張感溢れる市場であったり、寂れたスラムに近い村であったりが映し出される。しかもそれらを接続する車や飛行機での移動シーンはほぼ無く、ぶつけられるかのようにこれらシーンは繋げられる。ひとつひとつがこんだけ濃ゆいのだから、2時間それが続くと脳も疲れるのだ。また、その地その地の歌を歌わせ、それをぶつけて混じり合わせない表現は、山本が敬愛するアルトマンの手法である。ただこのぶつ切り音楽は、集中力を切れさせ、感情を乗らせてくれない。

 そして瓦解する映画のルール。「ここからは車にしがみついていたおばちゃんが男の演者を加えて二人一役になるよ!」と見たことない注釈が入る。まず、このおばちゃん、走る車の下にしがみつくという驚異的スタント(もしくは監督の壮絶な無茶振り笑)を見せてくれる。その後、何か予定が合わなかったのだろう、代役が必要になったのだ。そしてその代役が男で、しかも室田日出男という謎さ笑。そんで寝たきりの爺さんは、江戸アケミの演説のように「頑張るしかないんだよ!」といきなり目を覚まして騒ぎ立てる。空にはUFOが飛ぶ、金歯は光る。近藤等則の「キマッタ君たち、ハマッタ俺たち♪」という歌詞が今作のぶっ飛び具合を表す。「脳天パラダイス」の片鱗がある。

 国境を越えよう。土地の面白さを潰す権力や企業とは戦おう。無くなってはならない人の雑然とした営みを大切にしよう。そんなテーマが窺えた。「ロビンソンの庭」で人類より自然が最高点であることを打ち出した後、やはりそこに住む人類にもう一度目を向けたその監督の眼差しの温かさ。夜這いする父、浮気する男、金に連れてかれる女、盗む女、エロじじい、ロクなヤツらじゃないんだが、どこか愛おしい存在なのだ。悪役の近藤等則すら、憎めいない存在だった(というか役者顔すぎる)。
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