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ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーのpenのレビュー・感想・評価

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MCUやDC映画のイースターエッグは解説を読んで初めて気づくことが多々あるが、このマリオについてはその正反対で、(もちろん気付いてないものもあると思うが)様々な小ネタに気付ける発見があった。
普段そういった劇中のイースターエッグに一喜一憂する観客の気持ちとはこういうものだったのかと、知ることが出来た。

本作はディテールによって成立しており、オリジナルのゲームに登場するマリオを始めとしたキャラクター、敵キャラ、アイテムの設定を掘り下げることで形作られている(それらを彩る音楽もアレンジによって再解釈されている)。
「ストーリー」というとクッパの野望を打ち砕くことだが、それもいってみればゲームの要素の一つ(というかクリア目標)であり、正直無いといってもいい。だが、そういうひたすら掘り下げて作られる映画もあっていいと思った。ファンは喜ぶし、結果として大ヒットしてるのだし。
小ネタを知らなければ楽しめないのか? というと別にそんなことはなく、そこも原作に沿ってアクションが強調されているから映像的に楽しい。マリオが遮蔽物を悠々と飛び越えていく姿はジャッキー映画やバスター・キートンのアクションを連想。

複数回プレイがほぼ必須な原作のゲーム性が、マリオの「何度やられても絶対に諦めない」という精神と結び付いていく展開には感心した。それがマリオの家庭環境(イタリア系アメリカ人でブルックリン在住のブルーカラー、充分に整備されてない車、金持ちの家との格差と序盤の背景提示は中々に凄い)、上手くいかない自らの状況の打破と重なり、如何にして言葉だけではない「スーパーマリオ」(ルイージとセットでスーパーマリオブラザーズとも)になるかが奇を衒わずに描かれている。

ここからはゲーム的な話になるが、マリオの中盤以降のパートナーがドンキーコングになるのは膝を打った。確かにキャラクター単位で色々とゲーム化されているのはマリオに次いでドンキーコングだし、昔「ディディーコングレーシング」という「マリオカート」のようなレースゲームがあった。それを踏まえると、ドンキー達の国でカートの文化が栄えているのは納得。
また、ルイージやマリオの幼少期の映像で固有のキャラクタとして存在するベビーマリオを使うのも、最後まで観るとその使い方の上手さを実感出来た。つまりそれは最初の話に戻るが、MCUのポストクレジットで度々ある「謎のキャラクタ登場だが分かる人には堪らない最高の瞬間」があるということだ。
そういう訳で席を立たないことをお勧めする。
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