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ゴッドファーザーPART IIIのツクヨミのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザーPART III(1990年製作の映画)
1.9
マイケル・コルレオーネの贖罪を描き出した"ゴッドファーザーPART Ⅱ"の後日譚
1979年マイケル・コルレオーネはバチカン市国にシチリア復興と称して多額の寄付を行い提携を結び、マフィア稼業から足を洗おうとするが…
フランシス・フォード・コッポラ監督作品。1990年に公開された本作は"ゴッドファーザー"シリーズ最終章としてマイケル・コルレオーネの最期を描いた作品だったが、結局は前2作の後日譚としての位置付けな印象を受けた。
まず全体的に今作は"ゴッドファーザーPART Ⅰ"の焼き直しというかシリーズの原点回帰的な印象が拭えない。髪が白くなり年老いたマイケル・コルレオーネは"PART Ⅰ"のヴィトー・コルレオーネを想起させるし、オープニングのバチカンでの勲章授与式は"PART Ⅰ"のオープニング結婚式、ラストの舞台劇クロスカッティングは"PART Ⅰ "のラスト粛清クロスカッティング、後半銃撃を受けるマイケルと"PART Ⅰ "の前半銃撃を受けるヴィトー、などなど結局は"PART Ⅰ"のヴィトーの物語を今作のマイケルがなぞっていっている感が強い。"ゴッドファーザー"シリーズはPARTⅠとPARTⅡどちらも独自の面白さを個人的に感じていた自分にとって、今作はゴッドファーザーとしての魅力が薄くPARTⅠの焼き直し感が強くてあまり好きにはなれない。
そして今作はマイケル・コルレオーネが前2作で負った罪に対しての贖罪を行っていくストーリーになっている。PARTⅡでフレドを殺してしまった贖罪、PARTⅡで妻ケイと家族を蔑ろにした贖罪など司祭に許しをこうマイケルや年老いたケイと昔を懐かしむシーンなど、ノスタルジックなシーンの連続はドラマとしては良いかもしれないが、前2作であれほど崇高なマフィア物だったからかあまりノスタルジックにはなれない気持ちが先行してしまう。
しかし今作は"ゴッドファーザー"シリーズとしてバイオレンス要素はしっかり持ち合わせている。ソニー・コルレオーネの息子のヴィンセント・マンシーニがその担い手となりバイオレンスを牽引していくが、正直ソニー的な魅力はあまり感じられなかった。ソニー・コルレオーネといえばPARTⅠで家族を愛しすぎるあまり、家族に手をあげたものを絶対に許さず復讐するというキャラクターが光っていた。その反面息子のヴィンセントはキレやすいという狂犬的パワーを感じるが、その衝動は無造作というかただキレやすいチンピラ的な印象が拭えない。1番大事な家族に愛を注ぐという要素は受け継がなかったのだろうか、そこがシリーズの大事なバイオレンスの牽引役として信用できない感じがした。
"ゴッドファーザー"シリーズとして魅力は薄くPARTⅠの焼き直し感が強い凡作という印象だが、ラストのクロスカッティングの切れ味は実にコッポラ監督だったのは好印象だった。まあ"ゴッドファーザー"PARTⅢというよりかPARTⅡの後日譚という位置付けがやはり似合う作品。
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