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ゴッドファーザーPART IIIのsowhatのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザーPART III(1990年製作の映画)
2.0
【金も権力も手に入れた老人:マイケルは「愛」を手に入れるのか】

すべてを手に入れた老人が、過去の悪行をすべてなかったことにして、最後に「愛」にすがろうとする、なんとも虫のいい話です。マイケルは失った愛を取り戻そうと、神にすがり、別れた女房にすがり、娘にすがります。なんともみっともない姿です。彼の姿に威厳は感じられず、妄執という言葉が浮かびます。

散々お世話になったドン・トマシーノとの別れの場面。「あなたはみんなに愛された。それに比べて俺はなんで人望がないんだ…」マイケルの言葉に苦悩が滲みます。でもそれは誰のせいでもなく、すべて自分の行いの結果です。その報いとして、彼は最後にいちばん大切なものを奪われ、絶望と孤独の晩年を過ごさねばなりません。賢くはあってもどこかバランスを欠いた男、そんなマイケルをアル・パチーノが熱演しました。どんなことでもやり過ぎは良くないようです。

そんなことより、本作の最大の葛藤は「兵隊の生き死に」の方です。ラスボス、ドン・ルケージ暗殺に差し向けられた刺客の男。ドン・トマシーノの敵を取るためにおそらく自ら志願しての行動でしょう。丸腰で堂々と敵のアジトに乗り込み、敵の眼鏡を奪い、それを喉に突き刺し見事目的を遂行し、射殺されます。絶対に生きて帰れない作戦行動の無謀さ、殺し方の突拍子もなさ、老人の「愛」の問題など吹き飛ぶ衝撃でした。

父ヴィトーの仲間たちは殺し屋ルカ・ブラージも含めてみんな「人間」として描かれましたが、マイケルの取り巻きたちは「人間」というよりまるで「ロボット」のようです。彼らにも家族や感情があるはずなのに。本作でマイケルの苦悩は嫌というほど描かれましたが、兵隊たちの苦悩はまったく触れられません。殺しの後に家族へのお土産のお菓子カンノーリを大切そうに車から取り出すクレメンザのことを懐かしく思い出しました。
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