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母の聖戦/市民のdalichokoのレビュー・感想・評価

母の聖戦/市民(2021年製作の映画)
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カメレオンの意味

冒頭、美しい娘のアップシーンから始まる。この始まりはとても意味深で、その後主人公の母親の顔が常にアップで映されることと対比的だ。結局娘のラウラが出てくるシーンはこれだけ。ラウラが母親のシエロに化粧をしている。

メキシコを舞台にした誘拐犯罪を扱うドラマではあるが、誘拐する側とされる側だけではなく、警察や軍などを巻き込んで展開する内容に日本人はついていけない。これが現実か。

母親のシエロは、娘を救うために命がけの戦いに出る。別居中の夫も協力はするが力にはならない。シエロは誰かに助けを求めるが、誰もアテにならないことを知ると、自らの手で娘を救おうと決意する。決意が表情に出るシーンがいい。家で飼っているカメレオンに餌(虫)を与えるとき、彼女の表情が赤く映る。まるでカメレオンのように表情を変える。そのカメレオンを握りつぶそうとするシーンもある。

カメレオンが意味するように、この母親は大きく変化してゆく。その変化は表情に現れるのではなく、彼女の姿勢や意思に現れる。そして衝撃のラスト。このラストをまるで想像できなかった。家の前でタバコを吸うシエロ。その向こうから誰かがやってくる。それが誰かは映画の中で語られない。ラストのほんのわずかなシエロの表情でしか、見る側は何もわからない。あとは映画を見た者だけがそれぞれ判断するしかない。

原題は「市民」
この映画は”市民は守られない”という定義を示す。警察も軍隊も何もかも信じることはできない。信じないことを真実として描くことで、この映画の普遍性が訴求してゆく。国家は市民の集合体、であるはずだ。しかし、シエロはこの世の中がそうではない、いかにも個人主義的な社会であることを暗示させる。

若きテオドラ・ミハイ監督は、これを実在する人物のドキュメンタリーにしようとしていたらしい。つまり実話である。この現実を遠い異国の日本人が見て、本当に異国のことだと思うか?
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