夫がいて、子どもも養って、いつまで好きで始めた仕事を続けられるか。40代後半の女性が、職種は違えどこういったことで悩まなくてはいけないのはどこの国でも同じなのだろうか。
主人公ジワンはまさにそんな役どころで、ヒットの一つも出せずにもがいている、現代でも韓国でまだ少ない女性映画監督だ。
ひょんなことから1950年代の女性映画監督・ホン・ジェウォンの作品の欠落シーンの発掘をかって出ることになるジワン。
そこで知るのは、’50年代の韓国では現代よりもさらに女性が映画を撮るということが困難だったということ。
それは、ひょっとしたら多くの国で、物造りに携わる女性、すべてに言えるのかもしれない。
しかしこの作品は、そのことを哀しい、忘れるべき歴史の一部… というふうには描いていない。
むしろ、ここに通底しているのは、終始人間同士がエールを送り合うような優しい視点。
ジワンに対して「いつまで映画なんてやってるの?」と、半ばイジりの対象のように息子に揶揄され、夫に小言を言われても、彼らは結局、母親〜妻であるジワンを暖かく支えている。
ジワン自身も、マンションの駐車場で亡くなった女性とホン・ジェウォン監督の影を重ねることで、道半ばで消えていった女性たちの存在に、優しくそっと弔いをあげているようにも見えたり。
つまり、この『オマージュ』を創り上げたシン・スウォン監督自身が、彼女たちに対して、同志としての想いを添えているのだ。
人々がちょっとだけ優しく思いやり合えれば、偏見や差別の目なんて変えていけるのだと。
「オマージュ」するとき、そこに「優しさ」というものが大切な要素になるのだと言っているようで。