Ginga

オッペンハイマーのGingaのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
ノーランに撮れない映画は存在しないのかもしれない。
十二分に評価されてきた監督だと考えてきたが、未だに過小評価だったことを思い知らされた。
オッペンハイマーが原子爆弾で世界を作り変えてしまったのと同じように、この映画が映画界を革新する、そういうゲームチェンジャーとして機能しうる可能性に脳が揺さぶられる。
ノーランが真に野心的な意思を持って製作に取り組んだのかは知らないが、少なくともこんな映画を作っておいて、そんなつもりはなかったんです、とは言えない。
この映画をすぐに公開しなかった日本の映画界に未来はない。

山程いいシーンと練られた構図があったが、やはりトリニティ実験の夜のそれぞれの科学者の映し方は素晴らしい。一人ひとりの登場人物で構図が使い分けられていて、沢山の人間がピンで抜かれていく単純な映像なのに飽きが来ず、それぞれの心情が良く伝わる。
フローレンス・ピューもほんとに素晴らしい。一人でこの作品にヒューマンドラマ的深みを増幅させる鬼気迫る演技。エミリー・ブラントのブチギレもいいが、やはり何と言ってもフローレンス・ピューだろう。

[学問と世界を変えるもの]
T・S・エリオット、ピカソ、サンスクリット語、量子力学が如何に世界の捉え方を根本から変えたのか、ユングやフロイトだってそう。世界を根本から捉え直す挑戦は全ての文化人が望んできたことであり、原爆だって量子力学が先へ先へと進む中で軍が目をつけただけに過ぎない。研究は必要に迫られずとも進行していくわけだが、人類史上最大の戦争と時を同じくしたのが不運だった、という風にも捉えられる。技術の兵器転用は現代でも生成AIや無人機など度々取り上げられる問題だが、重要なのはそこで十分な議論が交わされること。必要に応じて先を急ぐことは判断力を鈍らせ、気づいた頃には自らの手を離れている。オッペンハイマーは原爆を手にした際にその事実を突きつけられ、水爆には大反対するわけだが、聴衆が足音を踏み鳴らすシーンはまさに自らが作ったはずのものが増し続ける流れの中で自らでは制御出来なくなっていることを象徴していた。

[原爆投下の夜の集会]
集まった聴衆はオッペンハイマーを礼賛するが、そこに見える人々が共に開発に勤しんできた科学者でなかったのも手が込んでいる。ロスアラモスで暮らす技術者かあるいはその家族だろうが、彼らが原爆が世界にとってどのような存在であるかを理解していないことを推測するのは容易い。それはアメリカ国民が、あるいは政治家が考える原爆像と一致する。原爆が世界のゲームチェンジャーであることに気づいている人間はそれほど多くないのだ。オッペンハイマーは原爆が世界にとって危険なものであり、これまでの兵器とは次元の異なるものだ、と理解しており、そうした無自覚な人達よりは被害者に寄り添う存在だと言える。とはいえ、原爆被害者と面と向かって対話に乗り出したわけではなく、被害者がそうした点に無責任さを感じるのは間違っていない。

[ラミ・マレック達の存在]
シカゴで世界初の原子炉を作ったフェルミ教授率いるチームの一員としてマンハッタン計画にも参加しているが、当初はオッペンハイマーとは気が合わない人物のように描かれている。しかし、最終的にオッペンハイマーの功績を世に示したのは、テラーやアーネストの身近な人ではなく、ラミ・マレック演じるヒル博士だった。真実は科学を信仰するものの手によって明らかにされる。

[異次元の構成力]
戦時下のオッペンハイマー、ストローズの内閣承認尋問、オッペンハイマーの公聴会の3つの場面が入り混じりながら進行していく中で映画としての結論へ向かっていく編集技術は圧倒的だった。
序盤の回想シーンの続きが続々と投入され、映画としての結末にとって有利な真実が明らかになっていく。オッピーを裏切るものもいれば最後まで彼を信じてくれるものもいる。

[アインシュタイン]
アインシュタインもオッペンハイマーと同様に「世界を変えた」人物の一人だ。しかし、彼には当然アメリカへの愛国心はなかったし、ユダヤ人であったが故にナチスのことも嫌っていた。彼は純粋に科学者として世界を変えることに挑んだ。しかし、そんな彼にさえ、世間は重圧を押し付ける。自らが選ぶと選ぶまいと、世間は才能を羨み、無条件の評価は当初は与えない。十分な時間しか、その重圧を解放するものはない、アインシュタインは述べるが、果たしてオッペンハイマーに解放のときが訪れたのかどうかは事情が異なる。彼は、オッペンハイマーは、根っからの科学者でありながら、科学に留まりきれなかった人物であった。

[日本人がどう見るべきか]
原爆を何のために開発するのか、したのか、この点がぶれ始めるのがヒトラーの自決。アメリカを中心とした西側諸国にとって、対ドイツは自国が標的になりかねない、かつ長引かせることが自国の利益に直結するために一刻も早い決着が必要だった。一方で対日本という点で考えれば、日本に継戦能力がないことは開戦時から明らかであった事実であり、真珠湾攻撃がなければこれほどまでにアメリカが苛烈な決着にこだわったかと言われれば疑問符がつく。アメリカが決着を急いだ理由の一つとして時間経過と共に国内世論が停戦へと傾きつつあったことが挙げられる。日本に原爆を落とす必要があったのか、単なる空襲で十分だったのではないか。とはいえ、原爆が日本国民の気力を打ち砕いたのは間違いなく、冷戦が核戦争へと進行しなかったのは日本の原爆の悲惨な経験が世界を覆っていたからである。
日本人の原爆に特化した被害者意識は世界に類を見ない特別な感情である。各々が自らの認識を支える十分な説明を身に着けない現状は問題であり、そうした努力をしないのであれば即刻被害者意識は捨て去られるべきだ。
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