散歩

オッペンハイマーの散歩のネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

客層が意外と若めでちょっと驚きました。人間関係が複雑な事に加えて「この辺の歴史は知ってて当然だよね」って事なのかは分かりませんが説明が特にないので、映画の先でも後でも良いので原案小説を読むことをお勧めしたいです、最近文庫化もされましたし。個人的にはかなり助かってあまり混乱することなく観れました。
ストローズをもう一人の主人公に据えることでちょっと『アマデウス』っぽい感じになっていたり、冒頭の二人の天才が何を話していたのかっていうのが最後までミステリーとして引っ張っていく様子には「『市民ケーン』かな?」って思ったりもして。時間軸をいじっているのはノーランなりのドラマ的な面白さに加えてテーマに対して観客を笑顔で劇場から出さないって思いもあったのかな。個人的には英雄というよりも(特に後半は)自分の犯した罪から目を背け逃げ続ける男のようにも見えて、この辺は小説よりも厳しさを感じましたね。映像・音楽も相変わらず素晴らしかったし3時間が全然長く感じませんでした(さすがに体感数分とかではないですが)。人間の中にある矛盾や複雑さがテンポの早さでやや理解が大変だったり、聴聞会のパートは今現在起こっている愚かさにとても直接的に繋がる部分なので素直に見せてくれても良かったかなぁって思う所もあるんですが(退屈になるのでしょうがないんだけど)、本当に見応えのある、そして観る価値のある作品だったと思いました。ノーラン作品なのでそりゃIMAX映えするシーンが幾つかあるんですが、今作についてはIMAXじゃないと観る意味が無いとかそういう作品でもないので、どうしても無理なら通常上映でも是非。




とまあノーラン好きですし基本的には面白かったんですが、それを前提としてかなり気になる所があったことも事実で。というか、日本も含めて最近支持されている映像作家ってルックは重苦しい感じなんだけどよく見ると「チョット、無邪気過ぎない?」って感じることがちょっと多いなぁって。オッペンハイマーに自分を重ねている感じが端々に見られたり、シェイクスピア劇的なドラマの盛り上げ方も、例えば『DUNE part2』とかならまだ許せるんですがこういう作品でやられると、観ている時は良いんですが冷静になって思い返すとちょっと浸り過ぎに感じて「ん、これで良かったのかな?」って、あの終末感のある終わり方と合わせてちょっと疑問に思ったりもしました。あと広島と長崎の描写が無いっていうのは流れとしては分かるしスライド写真を見せないのも実際映画を観るとオッペンハイマーが事実(または罪)に向き合えていない風にそれなりに感じられるので、イチ日本人として観ても(感情は別として)理解はできるんですが、本作一番のホラーと言ってもいいあのシーンがどうしても気になってしまって。あのシーンはオッペンハイマーが見ている幻(もしくは夢)なわけで実際の光景ではないんですが、今作は映画であのシーンは映像で、観客は実際に目で見ているわけです。結果的に今作の中で視覚的に原爆被害に合ってるのってアメリカ人(っていうかほぼ白人)になっちゃってるんですよね。目撃するっていう事のインパクトの大きさを考えると、(日本人以外がどれくらいそう思っているのかは知りませんが)こういう政治的な作品を今の時代に作るにあたってどれくらい細やかに考えてるんだろうっていうのが、別に怒りとかはないんですが結構気になりました(やっぱこうしないとショックが伝わんないのかなぁって)。まあ、科学者には広島への投下について喜ぶことはなくむしろ惨状を想像して恐怖を覚えた人が多くいたのも事実で、でも当時の彼らは日本について知っている訳ではなく、結果としてああいったシーンになったって思えば納得できるんですけどね。ついでに、重い作風なのにFBIが尾行してゴミを漁る見せ方があまりにもマヌケだったんで「ノーラン、こういうとこだぞ」って笑っちゃいました。

改めて観ると、キティが(ロッブも含めて)自分のストーリーに酔っている節がある男達に尽く厳しいなって思って、彼女が今作に対する反ロマンチシズムに感じられてチョット好きでした。あと、意外と編集に気を使ってるんだなっていうのが2回目観ると分かりますね。まあそれでもやっぱ、不親切な作品である事に変わりはないんですが。


2回目はある程度頭の中で整理された状態で観れたのでより面白く観れたんだけど、3回目では(正直初見時からなんとなく思っていた)トリニティ実験の爆発再現や日本に投下した後のオッペンハイマーの演説シーンのショック映像が評判で聞いていたよりもかなりショボいなっていうのをよりハッキリと感じましたね。で、これ悪い意味で捉えている訳では無くて、今作って罪悪感に迫る作品であると同時に(当時の)人々の想像力の欠如を描いた作品なのかなって。全然核爆発に見えないあのシーンも、再現したかったのは核爆発そのものでは無くて、当時の科学者たちが思っていた「原子爆弾=すごい爆弾」の再現だったのかなって思うと(音や演出はすごいけど)、あの拍子抜けな爆発にも納得ができるかなぁって思いました。でも、アメリカでそういうアプローチの批評は聞いたことが無いし、作中でもオッピーは魅入ってたので多分これは見当違いな解釈なんだろうなぁ。でもラストの生々しさゼロの終末想像とかも「これ、今の戦争指導者とかもこういう俯瞰的な画でしか想像できないんだろうし、だから戦争って終わらないんだろうな」って改めて見ると警告とは違う見え方になったし、個人的にはそっちの方が今の世界に対してより恐怖を感じられたので、まあ高いお金を払って何回も観て良かったなって、良い体験だったなって思いました。
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