神はサイコロを振らない≠重力によって振れない。
初日にIMAXLaser/GT方式にて鑑賞。
一週間後にDolbyCinemaにて鑑賞。
ロバート・オッペンハイマーが見てきた量子力学と戦略的な戦争。
様々な議論が起こり、手軽に見に行ける映画館では公開から8ヶ月経ってから公開されることになった本作。
歴史上、唯一原子爆弾が兵器として使用されたことから当然と思うのか、作家意図を持たず(受け取らず)の表面批判に首を傾げるのか。
敢えて言うならば、この作品がアカデミー賞を受賞したあとに「日本でやっと公開された」ことで作品に対する一つの意味が加わっているものを感じた。そこにクリストファー・ノーランの意図は無いにしても。
クリストファー・ノーランの仕掛ける矛盾はやはり彼らしい演出で描かれ、没頭したことで生まれる"どうして彼はアカデミー賞を獲得できたのか?"はこの作品がWW2の時代、WW2が終結した最大の要因が登場しながら、オッペンハイマーとストローズの視点で描かれる史実上の人間ドラマであり、終わってみたら獲るのも不思議ではないとも思ってしまう。
見ることで"なぜヒロシマ・ナガサキが描かれないのか"という固有の問題の解決になるし、原子爆弾を作らざるを得なかった。それは現代にとっての国際平和へ向けて問題提起につながるのか。を考える要因になるのではないかと。
オッペンハイマーの視点から作品を見たときは、地続きの先に1954年の『ゴジラ』がある。ということは少し違うかな、とは想いつつ(一旦、"ニア0"としておこう)、『博士の異常な愛情 または〜』や『シン・ゴジラ』を見返してこの作品と接続点があるかは見ておきたい。
それと、フルIMAXで映し出されてシネスコサイズでは映し出されないもので見たとき、どんなものになるのかも。