鶏

オッペンハイマーの鶏のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.6
『吹き替え版があればなお良かったな~』

2020年公開の「TENET テネット」以来のクリストファー・ノーラン監督作品となる本作を観て来ました。前作は、映像やアクションシーン、特にカーチェイスのシーンなどは素晴らしかったけれども、どうも時空を捻じ曲げて第3次世界大戦を防ぎ、人類を救うという世界観に馴染めませんでした。しかしながら本作は、原爆を開発したオッペンハイマーという実在の人物にスポットを当てた伝記映画であり、当然のことながら被爆国である日本人としては注目せざるを得ない作品でした。というか、「TENET」の概要と並べてみると、本作は第2次世界大戦前後の話だったり、”ユダヤ人に対するジェノサイドを行うナチスより先に原爆を開発する”という主人公の使命だったり、主人公の微妙な恋愛感情だったりの構造が、両者結構似通っているなと思わないでもありません。

いずれにしても、直近で米国アカデミー賞の作品賞はじめ、7部門で栄冠に輝いた話題性もあり、前作の2時間半を上回る3時間にも及ぶ長編にも関わらず、何処の劇場も結構入っていたようで、何よりです。

そんな本作でしたが、時系列を無視して場面がどんどん入れ替わるというクリストファー・ノーラン監督らしい演出はそのままでしたが、この点においては史実を映画にしていることもあり、またきっとそう言う作風だろうという事前の予感も的中したので、前作程の分かりにくさは感じませんでした。ただ、後から後から登場する大勢の人物が、一体誰であるのかという説明が乏しく、その辺に戸惑っていると前作同様置いてけぼりになる感もありました。まあアインシュタインは、風貌だけでそれと分かりましたけど。

あと、セリフの情報量がただでさえ多い上に、物理学はじめ専門用語が散りばめられており、そこにも落とし穴が用意されていたように思います。現在は字幕版しか上映されていないようですが、吹き替え版が出たら是非もう一度観に行ってみたいと思うほどです。というか、予告編で渡辺謙がナレーションをしていたので、てっきり謙さんがオッペンハイマーの声を当てる吹き替え版があるものと楽観していたのですが、期待は外れてしまいました・・・

肝心のお話の内容ですが、これは既に言われていたところではありますが、決して”Make America Great Again”的なものではなく、どちらかと言えば反戦、反核寄りの映画でした。勿論オッペンハイマー自身、彼がユダヤ人であることもあり、ナチスドイツへの対抗上とはいえ、アメリカが核兵器を開発することに当初賛同していたからこそマンハッタン計画に加わる決断をしました。一方で核分裂が無限に連鎖することで、1発の原爆が地球を滅亡させる可能性が僅かながらではあるけれども存在していることに言及しており、ヒロシマ・ナガサキ以前から核兵器の恐ろしさは十分に認識していたように描かれていました。

ただ、ナチスドイツへの対抗のために開発していた原爆を、ヒトラーの自殺とドイツの無条件降伏にも関わらず開発を継続し、実際に日本に投下する流れの中では、ごくごく消極的な反対表明をするに留まったことで、戦後内心面で大いに苛まれることになることになる下りは、非常に見ごたえがありました。戦後大喝采を浴びる中演説するオッペンハイマーのいる会場に、原爆が落ちたように描かれるシーンなどは、オッペンハイマーの内心をそのまま反映した、実に上手い演出だったと感じられました。

またオッペンハイマーをマンハッタン計画に引き込んだルイス・ストローズとの確執も、本作の見所でした。実際のところは分かりませんが、本作におけるオッペンハイマーは、人の心が理解できない人物として描かれており、弟の奥さんを紹介されてもろくに挨拶をしなかったり、満座の中でストローズに恥をかかさせたりする場面が何度か観られました。これを恨みに思ったストローズが、戦後水爆開発に反対を表明したオッペンハイマーを”赤=共産主義者”だとして追及することになる訳で、この辺りは身から出た錆と思わないでもないところです。ただストローズが狡猾にして用意周到なヒールとして描かれており、オッペンハイマーが”赤”認定されて機密情報へのアクセスを遮断され、事実上公職追放された後、ストローズ自身も大統領から商務長官の指名を受けながら、オッペンハイマーへの執拗な攻撃が暴露され、結局議会から長官就任の承認を拒否されるに至り、観客的には一定のカタルシスを得られる創りとなっていたのは幸いでした。まあ事実をそのまま描いているだけではあるのですが、ノーラン監督作品だけに、意外な締めくくりではありました。

最後に、被爆国からの観点で本作及び広島及び長崎への原爆投下を考えたいと思います。アメリカの原爆開発は、当座の問題として敵国であるドイツとの競争上やむを得ないものだったのは、立場の違いを超えても理解できるところです。ただ、既に瀕死の状態の日本に2度も落として良かったのかどうかは、甚だ疑問と言わざるを得ません。確かに日米戦争において、宣戦布告もしないまま真珠湾攻撃をしたのは日本ですが、だからと言って原爆だけでなく、東京大空襲なども含めた都市部への空襲は、明らかに民間人に対する無差別大量虐殺であり、非常に問題のあるものだったと思います。今まさに行われているガザ地区の紛争も、確かに今回先に手を出したのはハマス側でしたが、だからと言ってガザ地区を封鎖し、食糧やエネルギー、水の供給を制限し、病院まで攻撃対象にしているイスラエルのやり方は、明らかにジェノサイドと言わざるを得ないのと同様のことだと思います。

問題は、既に原爆は使用されてしまった訳で、それをどのように後世の教訓にすべきか、ということでしょう。本作でも、オッペンハイマー自身が将来の核軍拡、開発競争を予測する発言を行っていましたが、実際第2次世界大戦が終結して以降、米ソ両陣営による核開発競争は激化し、あの昭和20年8月6日、そして8月9日から79年経過する今日においては、国連安保理常任理事国の5か国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮、そしてイスラエルの合計9か国が核兵器保有国だとされています。1発の原爆による核分裂が連鎖して、地球を滅亡させるかも知れないというオッペンハイマーの危惧は杞憂に終わりましたが、今や地球を10回破壊できるだけの核兵器が地球上に存在しています。

そしてウクライナへの侵攻の過程で、ロシアは核兵器使用を仄めかすことでNATO陣営を牽制し、また北朝鮮も日本を含む周辺国に対して、核による威嚇をしているのが実状です。要するにオッペンハイマーの危惧は、物理学上は外れたものの、国際政治学上は正鵠を射ていたと言って良いでしょう。

いずれにしても、”火”を手にした人類は、ゼウスの予言通り武器を作って戦争をしている訳で、これは人類ないし地球が滅亡するまで終わらないと考えた方が良さそうだという、実に悲観的な感想で締めくくりたいと思います。

そんな訳で、「TENET」への個人的な低評価とは打って変わって、本作の評価は★4.6とします。
鶏