このレビューはネタバレを含みます
時代と戦争に翻弄され、正義感から核を作り上げたはいいものの、核の使い方には関われず、権力に振り回され罪悪感だけが一生を付きまとう。
プロメテウスやシヴァ神の例えは胸に来るものがあった。
ロスアラモスが自分を解放できるような、リラックスできるような場所として描かれたあと、そこに研究所を作ると決まった時の気持ちはいかばかりだったのだろう。
どんな気持ちで所長に就任したのだろう。
そこらへんの心理描写とか人間ドラマも見たかったが、ダンケルクのように時間軸を交錯させながら、作品全体で核の構造を、核爆弾の連鎖反応を象っていることには脱帽。
「日本人は原爆を作ったも者など気にしない。恨まれるのは使った者だ」と、トルーマン。
オッペンハイマーは後悔の念を自分の奥底で押し殺しますが、その深淵に誰かが触れる度に彼の宇宙は激しく脈を打つ。
世界を変えた。
世界を壊してしまった。
大気に引火し、一気に広がる。
大変な偉業を成し遂げたことは言うまでもないが、その代償とでもいうべき外圧と呵責は、とても1人では抱えられるものではなかったのだろう。
「物理学の集大成がこんな大量殺戮兵器でいいのか?」
いいはすがない。いいはずがないが、やるしかない。
でももっと強力な爆弾が原爆を凌駕する。
世界滅亡への引火を示唆するエンディングには、オッペンハイマー同様、
「国際社会も直視していない」とノーランの強いメッセージを感じた。