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オッペンハイマーのnのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.6
オッペンハイマーの一人称的映画

自伝的映画という訳でもなく、ドキュメンタリー映画でもなく、「一人称的映画」として定めたい。

各SNSではこの映画を見る前に知っておくべきこと、とか登場人物の関係性とか説明・解説してる記事や投稿があったけど、「映画」を通してどこまで理解できるのか、させてくれるのかっていうのを感じたいのと、私が初ノーラン作品ということもあって、自分が知ってる知識のみで観てみた。結構理解できた。

時系列入れ替わることとか、セリフ量が多いとことかは、フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」と似てると思う。あれがいける人だったら、こっちもいけると思う。

歴史物の映画になると、史実と違うとか脚色はあるだとかどうだとか、おおいに言われがちだけど、あくまで「映画」だからね。作り手の視点や作家性はもちろん入るよ。
日本公開前には、被爆地描写が無いことについて話題になってたけど、「日本」「広島」「長崎」という言葉は何度も出てくるし、被爆描写は映画的表現によって描かれてる。実際、「トリニティ」実験の成功あたりの原爆・被爆描写を観て、鳥肌がたったし、涙目にもなった。

映画的良さを挙げていくと、カラーと白黒の演出も目的や役割が明確で良かったこと、音楽の使い方や演出が緩急があって引き込まれたこと、カメラの動きがスムーズで映画に没入できたことなど。脚本含めて作り込まれてるからこそ、長尺でも集中して観ることができた。
俳優陣の演技も最高だと思う。
フローレンス・ピューめちゃめちゃかっこよかった。
エドワード・テラー役のベニー・サフディもいいキャラしてたし、「トリニティ」成功の笑みが良い。
ラミとゲイリーが出てるの知らなかったから、出てきたとき嬉しかった。

映画を通して、「原爆」「核」というセンシティブな話題に対して、ノーラン監督のアプローチは真摯で昨今の世界情勢についても含めてよく考えられてるものなのではないかと感じた。決して、「映画」のエンタメの面に甘えるのではなく、社会問題の提起として。
「原爆を落とした側」と「落とされた側」という立場は教育を含めて、隔たりがあるけど、それを行うに至った過程とそれによって生まれた後の世界を生きていく様をオッペンハイマーの一人称的視点を基に描いているのだと思う。

オッペンハイマーは原爆の父って言われてるけど、いつかは誰かが作ってたと思う。人間は愚かだから。それが世界情勢や戦局で、オッペンハイマーのチームが世界で初めて成功したってだけで。でもまだオッペンハイマーは罪悪感に苛まれたり、水爆実験には反対する立場で、戦争を正義としない人物で良かったと思う。

最後に当時の戦争体験者の祖母の意見を書いておくと、私の祖母は東京大空襲で焼け出された経験があって、「日本がもっとはやく降伏していれば、焼け出されもしなかったかもしれないし、広島にも長崎にも原爆は落とされなかった。」って話してる。オッペンハイマーに対しても「彼は科学者で研究することが仕事だから、彼が悪いんじゃなくて、日本の陸軍の東條大将とかがいけなかった。」、「バカな戦争はするべきじゃない。戦争には絶対反対。」って何度も強く言ってる。
映画内でも言及されてたけど、核兵器の所持・使用を仄めかすことは、戦争終結につながったはず。それでも、日本が降伏をしなかった。だから、原爆が日本に落ちた。2度も。

それでも、日本の惨状があったにも関わらず、その後も核兵器の開発は進んで、現在も核兵器が使用される恐怖がある。愚かだよね。
戦争によって景気が良くなったり、科学も発達したりするけど、やっぱりもちろんダメだよね。


まとめると、3時間という映画にしては長い時間だけど、上質で有意義な3時間だった。
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