ノリック007

オッペンハイマーのノリック007のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
この映画を鑑賞し喜ぶ人々には、この映画は理解できません。

この映画の映倫区分は「R15+」で、15歳以上の人のみが鑑賞できます。
原子爆弾による凄惨な被害者の描写は避けられていますが、原子爆弾の爆発の描写、性的な描写があり、「R15+」になっています。
IMAXで鑑賞しましたが、可能ならIMAXで鑑賞することをお勧めします。
多くの若い人も鑑賞しているのに驚きました。
原子爆弾が落とされる場所が違っていたら、自分は生まれてはいないという認識が必要です。

プロメテウスは、ギリシア神話に登場する神で、ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えました。
人類は与えられて火を使って武器を作り、戦争を始めました。
怒ったゼウスは、不死であるプロメテウスをを山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓を食べさせ、生きながら責め苦を強いました。

原子力を手にした人類は、原子力で武器を作り、戦争を始めるということです。
原子力で武器を作り、戦争を始めた人類は、生きながら責め苦を強いられるということです。

この映画は、ストーリーは難解で、登場人物は多く、時系列が前後するし、上映時間は3時間と長く、理解できないと感じました。
パンフレットは、良くできているので、購入し、鑑賞前に読んでおいた方が、映画を理解できると感じました。

アルベルト・アインシュタインは、原子爆弾に賛成しますが、水素爆弾には反対します。
ロバート・オッペンハイマーは、原子爆弾に賛成し、作りますが、水素爆弾には反対します。
ルイス・ストローズは、原子爆弾に賛成し、水素爆弾に賛成します。
エドワード・テラーは、水素爆弾を提案し、賛成し、作ります。

この映画には、原子爆弾に賛成し、水素爆弾に賛成する人は登場します。
この映画には、原子爆弾に賛成しますが、水素爆弾に反対する人は登場します。
この映画には、原子爆弾に反対する人は登場しません。

クリストファー・ノーラン監督が、時間軸を複雑にすることで、隠したかったのは、原子爆弾に反対する人は登場しませんということです。
まるで、太平洋戦争中の米国にいるような異様な感じを受けました。
次に、原子爆弾が使用されるなら、クリストファー・ノーラン監督の責任だろうと感じました。

原子爆弾は使用されましたが、水素爆弾は使用されていません。

理解できない映画にすることで、原子爆弾の破壊力を理解できないようになっています。
この映画を観て、理解したいなら、広島にある広島平和記念資料館を訪れるべきです。
自分は、広島平和記念資料館を訪れましたが、原子爆弾の破壊力を理解できました。
世界遺産に指定されている広島にある厳島神社は訪れ、広島にある広島平和記念資料館を訪れない人がいるのが現実です。
原子爆弾の保有国は増える一方で、減ることはないのが現実です。

1979年にスリーマイル島原子力発電所事故、1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故、2011年に福島第一原子力発電所事故が起きているのが現実です。
福島第一原子力発電所が廃炉措置を終了するまでに、20~30年もまだかかるのが現実です。
現在もロシアがウクライナに侵攻し、ザポリージャ原子力発電所で事故がいつ起きるかわからないのが現実です。
ロシアがウクライナに侵攻し、原子爆弾や水素爆弾で攻撃すると脅しているのが現実です。

物理学の知識と歴史、原子爆弾と水素爆弾についての理解がないと、この映画を理解することはできません。
この映画にアカデミー賞を与えた人々は、この映画を理解しているようには思えません。

原子爆弾は、核分裂反応を利用して、爆弾を作ります。
核分裂反応には、エネルギーの上限があります。

アイソトープは、同一の元素で偶数の陽子と奇数の中性子からなる物質です。
原子爆弾には、中性子を放出するアイソトープが必要ということです。

広島に投下された原子爆弾には、高濃縮ウラン235というアイソトープが使用されました。
長崎に投下された原子爆弾には、高濃縮プルトニウム239というアイソトープが使用されました。

アイソトープの核に1つの中性子を外から与えることで、アイソトープの原子核が分裂し、2つの原子核になるという核分裂反応を起こして、エネルギーを発生させ、複数の中性子を放出し、周囲のアイソトープの核に中性子が入ることで、連鎖反応を起こして、指数関数的に増加し、瞬時に全てのアイソトープの核が分裂し、大量のエネルギーを一気に放出することで爆発するということです。
この核連鎖分裂を引き起こすには、ウラン235が23kg、プルトニウム239が6kgが必要です。

トリニティ核実験で使用されたプルトニウム型原子爆弾は、球形のプルトニウムの周囲に燃焼速度の速い火薬と遅い火薬を組み合わせて32面体となるように配置し、起爆装置で32個の起爆電橋線型雷管を同時起爆し、球形のプルトニウムの全ての位置で、圧縮力が伝わるタイミングが一致するようにして、核分裂反応を起こし、核連鎖分裂を引き起こし、爆発するということです。

爆縮レンズは、燃焼速度の速い火薬と遅い火薬を組み合わせて配置し、起爆装置で32個の起爆電橋線型雷管を同時起爆し、球形のプルトニウムの全ての位置で、圧縮力が伝わるタイミングが一致するようにする装置のことです。
爆縮レンズを作るのは難しいですが、爆縮レンズを作ること自体は問題になりません。

プルトニウム239は、原子炉の中で、ウラン238に中性子を照射する時間を短く制限して照射し、再処理により抽出します。
日本には、原子炉から出た使用済み核燃料の中から使用可能なウラン、プルトニウムを取り出す施設があります。

太陽のような恒星では、核融合反応で、エネルギーを発生させます。
恒星では、軽い水素を核融合反応を行い、少しづつ重い物質を生み出して、核融合反応を続け、恒星の重量が重くなります。
大きな恒星は、大きな重量の恒星になり続け、恒星が崩壊し、中性子星になり、爆発し、重い物質を宇宙空間に放出します。
さらに大きな恒星は、大きな重量の恒星になり続け、恒星が崩壊し、中性子星になり、重力が強くなり、重力が崩壊し、物質だけでなく光でさえ脱出できないブラックホールになります。

水素爆弾は、核融合反応を利用して、爆弾を作ります。
水素爆弾には、二重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)が使用されています。

水素爆弾は、原子爆弾を起爆装置として用い、核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、二重水素の原子核と三重水素の原子核から一つの原子核にするという核融合反応を起こして、エネルギーを発生させ、中性子を放出し、連鎖反応を起こして、指数関数的に増加し、瞬時に全ての二重水素と三重水素が核融合反応し、大量のエネルギーを一気に放出することで爆発するということです。
核融合反応は、エネルギーの上限がありません。
水素爆弾は、原子爆弾の何百倍から何千倍もの爆発を起こすことができます。


それでは、年表です。

1897年、J.J. トムソンは、実験によってマイナスに帯電した電子を発見し、原子は最も小さな粒子ではなく、原子の中にはもっと小さな原子核があることを予測しました。

1901年、ジャン・ペランは、原子核の存在を理論的に提唱しました。

1905年、アルベルト・アインシュタインは、特殊相対性理論を発表し、質量とエネルギーの等価性(E=mc²)を発表しました。
アルベルト・アインシュタインは、光量子仮説を発表し、光が粒子のように振る舞うと発表しました。

1911年、アーネスト・ラザフォードは、実験的に原子核の存在を確認しました。

1920年、アーネスト・ラザフォードは、原子核を構成する粒子には陽子の他に中性子が存在すると予想しました。

1924年、ルイ・ド・ブロイは、光量子仮説に基いて、光だけではなく全ての物質が波動性を持つと発表しました。
光は、粒子性も波動性も持つということです。

1927年、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様であると述べて、不確定性理論を発表しました。

1928年、ジョン・コッククロフトとアーネスト・ウォルトンは、陽子の加速実験を始めました。

1932年、ジョン・コッククロフトとアーネスト・ウォルトンは、リチウムに加速した陽子を衝突させて、原子核の変換に成功しました。
ジェームズ・チャドウィックは、中性子の存在を実験的に証明しました。

1933年3月4日、フランクリン・ルーズベルトは米国大統領に就任しました。

1934年、フレデリック=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー夫妻は、アルミニウム27というアイソトープにアルファ線を照射することで、原子核を変えてアイソトープであるリン30の合成に成功しました。
地球上に存在しないプルトニウム239を、原子炉の中で、ウラン238から作り出せることを意味しています。

1938年5月26日、米国下院非米活動委員会は、民間人、公務員、および共産主義者やファシストとのつながりが疑われる組織による不誠実や破壊活動の疑いを調査するために、特別調査委員会として設立されました。

1938年、ドイツの化学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンは、ウランの核分裂反応を発見しました。
リーゼ・マイトナーとオットー・フリッシュは、ウランの核分裂反応の理論的説明を行ったことで、原子爆弾の開発は理論的に可能になりました。

レオ・ジラード、エドワード・テラーとユージン・ウイグナーは、原子爆弾による戦争を廃止できると考えました。

1939年7月16日、レオ・ジラードとユージン・ウイグナーは、アルベルト・アインシュタインと会い、核分裂反応による原子爆弾を製造できる可能性を伝えました。
アルベルト・アインシュタインは、核分裂反応による原子爆弾を製造できる可能性を知って、驚き、フランクリン・ルーズベルト米国大統領宛ての手紙をドイツ語で口述で、ナチス・ドイツよりも米国が先に原子爆弾を製造するように手紙を筆記させました。
ユージン・ウイグナーは、この手紙を英語に翻訳し、何度も書き変えられ、フランクリン・ルーズベルト米国大統領宛ての手紙の草案になりました。

レオ・ジラードは、フランクリン・ルーズベルト米国大統領とつながりの深いアレキサンダー・ザクスを通して、アルベルト・アインシュタインの手紙をフランクリン・ルーズベルト米国大統領に届けることになりました。

1939年7月30日、レオ・ジラードとエドワード・テラーは、アルベルト・アインシュタインと会い、フランクリン・ルーズベルト米国大統領宛ての手紙を再検討し、レオ・ジラードとアレキサンダー・ザクスが検討して手紙を作成し、アルベルト・アインシュタインが署名し、「アインシュタインの大統領宛の手紙」となりました。

1939年9月1日、ロバート・オッペンハイマーとハートランド・スナイダーは、恒星の崩壊後にできる中性子星の質量には上限があり、中性子星の段階に留まることなく、重力崩壊し、物質だけでなく光でさえ脱出できないブラックホールの存在を論文で発表しました。

ナチス・ドイツが、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまります。

1939年10月11日、アレキサンダー・ザクスは、「アインシュタインの大統領宛の手紙」をフランクリン・ルーズベルト米国大統領に届けました。
フランクリン・ルーズベルト米国大統領は、ウラン諮問委員会を発足させました。

1939年11月1日、ウラン諮問委員会は、フランクリン・ルーズベルト米国大統領宛ての報告書を作成しました。
フランクリン・ルーズベルト米国大統領は、ウラン諮問委員会からの報告書を読みませんでした。

1940年4月10日、ヘンリー・ティザードは、英国でMAUD委員会を設立しました。

1941年7月15日、MAUD委員会は、原子爆弾の設計とコストについての詳細な報告書を発行しました。

1941年9月、ニールス・ボーアは、ヴェルナー・ハイゼンベルグから、原爆開発に使う原子炉の図を手渡され、「技術的努力が必要だが、十分に開発可能」と答え、ヴェルナー・ハイゼンベルグがナチス・ドイツに有利な情報を引き出そうとしているのではないかと恐れ、そこで会話を中断しました。

1941年10月9日、フランクリン・ルーズベルト米国大統領は、英国から原子爆弾の設計とコストについての詳細な報告書とウラン諮問委員会の報告書を読みました。

1941年12月7日、日本は、米国のハワイ州真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。

1941年12月11日、ナチス・ドイツは、米国に宣戦布告しました。

1942年1月、フランクリン・ルーズベルト米国大統領は、原子爆弾計画を正式に承認しました。

1942年7月~9月、ロバート・オッペンハイマーは、カリフォルニア大学バークレー校で夏季会議を開催し、核分裂爆弾の設計について議論しました。
エドワード・テラーは、水素爆弾の可能性を示しました。

1942年10月15日、ロバート・オッペンハイマーはロスアラモス研究所の所長に任命されました。

1945年1月20日、ハリー・トルーマンは、米国副大統領に就任しました。

1945年4月12日、フランクリン・ルーズベルト米国大統領が急死し、ハリー・トルーマン米国副大統領は米国大統領に昇格しました。

1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーは、総督官邸の地下壕で自殺しました。

1945年5月7日、ナチス・ドイツは、連合国に無条件降伏しました。

1945年7月16日、トリニティ核実験が爆縮型プルトニウムベースの核兵器で人類初の核爆発が行われました。

1945年7月17日~8月2日にかけ、ウィンストン・チャーチル英国首相、ハリー・トルーマン米国大統領、ソビエト連邦共産党書記長のヨシフ・スターリンがドイツのベルリン郊外ポツダムに集まり、第二次世界大戦の戦後処理について、話し合いました。

1945年7月26日、ウィンストン・チャーチル英国首相、 ハリー・トルーマン米国大統領、中華民国の蔣介石国民政府主席の連名において日本に対して発された全13か条で構成される降伏要求の最終宣言、(ポツダム宣言)を宣言しました。

1945年8月6日、 ハリー・トルーマン米国大統領は、日本の広島に原子爆弾を爆発させました。

1945年8月9日、 ハリー・トルーマン米国大統領は、日本の長崎に原子爆弾を爆発させました。

1947年3月21日、ハリー・トルーマン米国大統領は、大統領令9835号に署名し、連邦政府職員の「アメリカニズム」を決定する政治的忠誠心審査委員会を設立し、すべての連邦職員に合衆国政府への忠誠の誓いを立てることを義務付ける「連邦職員忠誠プログラム」を創設しました。

1948年11月2日、ハリー・トルーマン米国大統領は、再選されました。

1949年8月29日、ソ連は、初の核実験「RDS-1」をセミパラチンスクで実施し、22キロトンの爆縮型のプルトニウム爆弾を爆発させました。

1952年11月1日、米国は、太平洋エニウェトク環礁で水素爆弾による人類初の爆発が行われました。

1953年1月3日、ジョン・F・ケネディは、米国上院議員になりました。

1953年1月20日、ハリー・トルーマン米国大統領は、退任しました。

1954年4月12日~5月6日、米国原子力委員会の人事保安委員会は、ロバート・オッペンハイマーは、スパイの嫌疑を受けて、聴聞会で事情聴取を行いました。

1954年5月27日、米国原子力委員会の人事保安委員会は、ロバート・オッペンハイマーが水爆計画に反対していたため、セキュリティ・クリアランスの更新を勧めませんでした。

1954年6月29日、米国原子力委員会の人事保安委員会は、ロバート・オッペンハイマーがセキュリティ・クリアランスの更新することを認めず、ロバート・オッペンハイマーのセキュリティ・クリアランスは失効し、国家機密に関与する資格を奪われ、公職から追放されました。

1959年、米国上院は、ルイス・ストローズを、2ヶ月にも及ぶ公聴会を受け、ルイス・ストローズの商務長官指名を拒否しました。

1961年10月30日、ソ連が広島型原爆の3300倍に相当する世界最大の100メガトンの水素爆弾実験を実施しました。

1969年、下院非米活動委員会は、国内安全保障委員会と改名しました。

1975年1月14日、下院国内治安委員会は、解散しました。

原子核の存在が理論的に提唱されてから44年後、中性子が存在すると予想されてから25年後、原子爆弾計画を正式に承認してから2年6か月後には、原子爆弾を爆発させました。

原子爆弾を製作してから7年後、水素爆弾を爆発させました。

恐ろしいスピードです。

現在の日本が核武装する場合、すぐに核武装できそうです。
ノリック007

ノリック007