史実の立体化
2024年 アメリカ/イギリス作品
上映時間の長さもあって見応え十分な作品でした。観終えて一日以上が過ぎましたが、まだお腹がいっぱい、胸いっぱいな感覚です。
科学者としてのオッペンハイマーが「原爆の父」と呼ばれる所以、原爆の開発と使用までの過程が丁寧にリアルに描かれていて、よく分かりました。また、その後のオッペンハイマー事件、時の世界情勢や米国の政治世界に翻弄され続けたことも。
過去と現在を行きつ戻りつしながら、オッペンハイマーの幻聴や幻視の世界までも、シームレスに映像だけでつないでまとめるクリストファー・ノーラン監督の手腕に感服しました。音も強弱と抑揚がすごかったです。
1945年、今から78年前に広島・長崎に投下された原爆。その史実は、日本人の誰もが義務教育で教わります。ただ、事実の知り方、当事者の声を聴くことについては、被害者の声の一面だけでした。
『はだしのゲン』(中沢啓治)、『黒い雨』(井伏鱒二)、『二重被爆』(山口彊)、これらの作品で被爆地の惨状、被爆者の苦悩を知りました。一度、広島の原爆記念館にも行きました。同国人の悲惨な体験は、深く心に刻まれています。
本作で加害国の事情、加害者の人としての苦悩を知りました。誰それを責めても仕方が無いという心情は、日本人的なのでしょうか。作中では、オッペンハイマー事件で米国人同士が司法を武器化して、一時は国民的英雄に祀り上げられた人をこてんぱんに責めまくります。これには、日米の文化の違いを強く感じさせられました。
『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫・著)
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ポツダム宣言を受諾した日本に対して1945年10月、東京の有楽町にGHQ(連合国軍司令官総司令部)が設置されます。最高司令官はダグラス・マッカーサーです。連合国軍とありますが、事実上アメリカ一国による軍事占領でした。
アメリカの最大の目的は、日本が強力な国家として再生することの阻止、でした。日本が二度と軍事強国とならないように徹底的に日本を抑えるための占領政策を展開していきました。占領政策は「民主化」の名のもとに行われていきます。(中略)
無国籍化の思想であるリベラリズムは先進の思想として宣伝され、アメリカは、日本は封建体制を克服して民主化される必要があるとし、精神破壊政策に努めます。実は同じく敗戦国であるドイツに対しては、このような精神破壊政策は行っていません。ではなぜアメリカは、日本人の精神を徹底的に破壊する必要があったのでしょうか。
日本を精神的に立ち直れない国にしなければならないとアメリカが考えた最大の理由こそは、広島・長崎に原爆投下したアメリカに対する日本人の復讐への恐怖心、です。実際、国際法上、日本は原爆投下に復讐する当然の権利を持っています。
それ以上に、と言ってもいいかと思いますが、アメリカ人には聖書の民であるという側面があります。神が正しいと言えば他人を殺すことも厭いません。しかし、自分が神の意思に反したと思えば、呪われる側に立ってしまったと恐怖します。
アメリカの原爆開発政策・マンハッタン計画の責任者だったユダヤ系の原子物理学者ロバート・オッペンハイマーは、1945年7月16日に実施した人類初の原爆実験を目の当たりにして戦慄します。ヒンズー教の聖典バガヴァッド・ギーターの一文『今私は死となった』を引用して、世界の破壊者となってしまったことを自覚したと告白したことが記録に残っています。(中略)
広島の原爆慰霊碑に「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が刻まれています。過ちとは誰の過ちのことを言っているのかなど、さまざまな議論のある言葉です。
私はこの言葉を「日本はアメリカに復讐しません、原爆を投下したアメリカの過ちに対し、日本はアメリカに原爆を落として報復するという過ちを繰り返すことはしません。日本は世界の平和のために努力します。だから、どうか亡くなられた皆さん、天国で安らかにお休みください」と解釈するのがいいのではないかと考えています。日本国内で十分にコンセンサスの取れる文意ではないかと思います。この誓いには、アメリカ人も耳を傾けざるを得ないでしょう。
事実、私たちは核兵器の廃絶を世界に訴え続けていますか、原爆を投下したアメリカを憎んだり恨んだりしていません。私たちは「アメリカが原爆を投下した」とは普段言いません。主語が無く「原爆が投下された」と受け身で表現しているのです。
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神をも恐れぬ蛮行。
本作を通じて、どのような人たちがどうやって原爆を造ったのかがよく分かりました。日本人的な心性からか、アメリカの精神破壊工作の影響からか、原爆投下という史実をどこかで天災のように捉えてしまっていたことに気づかされました。
被害者ではなく加害者の視点で人類史上類を見ない虐殺事件を考え直すことができました。間違いなく、そこには人間の意思が介在していたのだと。
「今私は死となった」
加害者・開発者の中の中心人物には、ためらいや逡巡や良心の呵責があったこと、共感できる一面があったことを感じ取れました。他の人たちはどうだったのでしょうか。
『原爆-私たちは何も知らなかった-』(有馬哲夫・著)
▶巨大プロジェクトは自己目的化する
アメリカの原爆の使用は、議会、納税者、アメリカの将兵に対する責任から論じることが可能です。
日本を追い詰めていたダグラス・マッカーサーは、原爆の使用は必要なかった、これがなくとも日本はまもなく降伏していた、といっています。そして、必要がないのになぜ原爆を使ったかについては、そうしなければスティムソン(アメリカ陸軍長官)が議会に対し巨額の出費に関して説明できなかったからだ、と述べています。
実際、英米の研究者もこの巨額の出費と議会に対する説明責任を原爆使用の理由としてよくあげます。本書でも何度も引用しているヒューレットとアンダーソン(合同方針決定委員会のイギリス側メンバー)やゴーイング(イギリスの科学史研究者)がそうです。ただし、主たる理由ではなく、副次的なものとして言及されます。私は、スティムソンやルーズヴェルト大統領の立場に立つなら、まずこちらが主であって、軍事的、政治的理由は副次的なものだったろうと思います。
このように、原爆開発のような巨大プロジェクトはいったん立ち上げられると、それ自体が自己目的化してしまいます。つまり、何のために作るのか、どのような状況で使うのかより、完成させること、状況とは関係なく、実践で使うことが目的になってしまうのです。
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誰が、何のために、日本に、原爆を使ったのか。時の大統領や軍の司令官、時の為政者にも、ためらいや逡巡や良心の呵責はあったのでしょうか。
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戦争に勝つためなら、大量破壊兵器として使うので十分なのに、わざわざ大量殺戮兵器としての使い方を選んだ理由は、トルーマン(大統領)とバーンズ(アメリカ戦時動員局長)が日本人に対して持っていた人種的偏見と、原爆で戦後の世界政治を牛耳ろうという野望以外に見当たりません。
トルーマンは、ポツダム会談でチャーチルと原爆のことを議論したときも、原爆投下のあとの声明でも、サミュエル・カヴァートというアメリカキリスト教協会の幹部に宛てた手紙でも、繰り返し真珠湾攻撃のことに言及しています。
つまり、真珠湾攻撃をした日本に懲罰を下したかったのです。真珠湾攻撃が彼の復讐心を掻き立てるのは、被害が大きかったというよりも、自分たちより劣っているはずの日本人がそれに成功したからです。(中略)
ロナルド・タカキは、『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』で日本への原爆投下はトルーマンの人種的偏見こ関係があるといっています。極論のように聞こえますが、彼の著書を読んでみて、私自身が中西部にいたときの経験を踏まえると、説得力を感じざるをえません。
ジョン・ダワーの著書で唯一読むに値する『容赦なき戦争』でも第二次世界大戦と人種的偏見・憎悪が切っても切れないものであることが明らかにされています。
トルーマンは、バーンズを通じて、世界にもっとも大きな衝撃を与える大量殺戮兵器としての使用の決定に関してはイニシアティブを発揮したのです。
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「手元にある兵器はどんなものでも使ってしまうから」
水爆開発に反対するオッペンハイマーが、その理由を問われて答えた言葉が思い起こされます。為政者の個人的な偏見や心情で人類史上最悪の大虐殺が行われてしまったことは、信じたくないけれど、真実の一面を映しているのでしょう。
原爆が投下された国に暮らす私たちが知らなかった一面を知り、体感することができました。加害者側から描かれた物語は、咀嚼しきらないところもありましたが、平面的で一面的だった史実の理解と想像が、明らかに、立体的で多面的になった気がします。