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オッペンハイマーのよく観るのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

オッペンハイマー(とノーラン監督)の想像(VFX)に視点を置いてみる。

劇中、オッペンハイマーは彼の目にしか見えない世界を眺めていた。感性によった科学、学生時代に星の生涯を想像していたことからわかるように「現象をイメージで捉える能力」があることが示唆される。量子力学の世界も、ボーアに言われた通りに譜面を読むようなイメージをすることで難解な理論物理学が理解され、それをのちに研究発展させたものが評価される。物理学界の権威となるのだった。

本作の素晴らしいところは、『インターステラー』でも魅せた映像美にある。ブラックホールやワームホールの可視化に成功したように、エネルギーや原子の振る舞い、量子力学の世界も可視化(もちろんフィクションとして)し、しかも原爆の再現を可能な限り特殊な加工をせず執り行われたというから驚くほかない。ノーラン監督のこだわりが見える。

原子を粒子の挙動(当時の人間に想像できなかった映像)、エネルギーの動きを揺れる曲線で表現された素晴らしい映像が印象的である。最初はそれ単体がオッペンハイマーの頭に描かれ、次第に彼の頭上に浮かぶほどイメージが強くなっていく。他者と共有可能な姿(数式、論文)に変貌していき、これはつまり、量子力学の不確実性が、知覚可能な形で現れた瞬間だったのだと思われた。素晴らしい!科学の進歩だ!
だけど、マンハッタン計画に加わり研究を構成員に任せるようになると、そういった超現実的な映像は少なくなり、逆に演説、証言のシーンで自身を囲む空間を歪めた演出が増えていく。葛藤、感情の激しいときにそれは現れる。そうした現象でさえも彼の想像が強く誘発されていた。

(本筋から逸れるので手短に。聴聞会の彼は恋愛関係が続いていたジーンとの関係も想像してしまう。その場の誰にも見られぬ想像を、あられもない形で)

雨粒が水面にぶつかって波紋をつくるシーンがあるだろう。あれを、最初は核の連鎖反応を、自然のマクロな動きから着想を得て解明したシーンかも、と思っていたが、だんだん話が進むと、地図上にも波紋が現れるようになる。それは彼にしか見えない危惧、世界中に原子爆弾が投下される悲劇を連想させるメタファーだと思うようになった。この時も、彼は容易に共有できない想像を働かせていたことがわかる。科学者としてではなく、一介の人間として。
ついに終盤、というより物語の冒頭で彼がアインシュタインと池のそばで話すシーンにも波紋が現れる。その昔、アインシュタインに提示した数式が核の挙動を示す画期的なもの、水面の模様のようだったと示せたのだろうけれども、それが別の解釈で、世界中で爆弾が投下されかねない未来、地球上のあちこちで人が燃える核戦争の姿に重なるとは思ってもみなかっただろう。
しかし、最後に彼(監督でもある)が我々に見せてくれた想像は、雲から伸びるミサイルの煙、暗闇を飛ぶ無数のミサイルの光(このシーンは実際にミサイルを見たというパイロットの想像を借りている)、アメリカ本土を焼き切る火炎が同心円上に広がりやがて地球が破滅へと突き進む予感を表していた。

これは、明らかな反戦の映画である。オッペンハイマー、ノーランの想像による映像体験は、危険な世界を生きる我々の未来に眼差しを向けたものとして、強烈な余韻を残してくれた。「原爆の父」の葛藤を軸にしたおかげで、アメリカ(政府)の主張が強く入り込まない作りになっている。国を問わず、時代を問わず、語り継がれる存在になれたのかもしれない。
『オッペンハイマー』が、戦争映画の古典作品となる時代が待ち遠しくて仕方がない。

余談だが、感性で科学をした人物の書籍として岡潔『春宵十話』を、そして科学と感性の表現に長けていた漫画として三原和人『はじめアルゴリズム』を挙げておく。彼らの本から、イメージの醸成とその共有の重要性を学べた。