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オッペンハイマーのatomaのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.5
バルト11のIMAXで鑑賞。本作は、あの爆発シーンの音響だけでなく、音楽もオッペンハイマーの苦悩・罪悪感を激しく表現しているので、IMAXで観る意味はあると思う。

広島の地でこの映画を、とりわけロスアラモスの面々が原爆実験の成功に喜びを爆発させるシーンを観るのはなんとも複雑な気持ちだった。
広島の観客として一番気になる原爆被害の表現についてだが、本作は「原爆の投下が広島の街・人々に何をもたらしたか」をいくつかの幻視的イメージと言葉による説明によって間接的に示すのみなので、(例えば黒炭の屍体を踏み抜くあのシーンなど、現時点のハリウッド・ブロックバスターで可能な最大級の表現ではあろうが、)本作単独でアメリカ人の原爆に対する無理解を解消することは難しいと思われる。
全体としてオッペンハイマーの主観にかなり寄り添う映像表現を採っており、それゆえ原爆描写の回避は、自分の罪から目を逸らしたいというオッペンハイマーの無意識を映画的に反映していると擁護することもできるのだが(その意味で、本作のアプローチはアウシュビッツもの映画をめぐる「表象不可能性」論とは関係ない)、それは同時に、自国の罪を観ずに済ませたいというアメリカの一般的観客の願望の反映でもあるのではないか。

次に映画の構成について。ノーランお得意の時系列いじりとして、この映画では、戦後のオッペンハイマーとストローズの確執から聴聞会へと至る白黒シーンと、ロスアラモスでの原爆開発を頂点とするオッペンハイマーの前半生が、アーロン・ソーキンの『ソーシャルネットワーク』風?にカットバックされる構成を採用している。なによりストローズとの確執というプロットのテーマ的重要性が判然としない上に、原爆開発の成功と広島・長崎への投下という物語上のピークが過ぎた後も長々と映画が続くのはぎこちなく思えた。
それでなくとも大量の登場人物が(いずれもそれなりの役割をもって)入れ替わり立ち替わり画面に現れるので、複雑な時系列構成と相まって、一緒に観た母などはかなり混乱したようだった。

以上、批判ポイントのみを挙げてみたが、それでも3時間という長尺を退屈に感じることなく鑑賞できたのは素晴らしかった。わたしはノーランのアクションシーンにあまり感心しない側の人間なので、アクションシーンの余地の無い本作の方が好ましい。あるいはノーランの最高傑作かもしれない。(2024/4/3)
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