「原爆投下は終戦のためには必要だった」とするアメリカの歴史観を、「そんな認識が国レベルで浸透しているなんてヤバすぎ」と批判的に思っていたけど、本作を観たらそんな単純な話ではなかったし、どちらかというと「起こるべくして起きてしまった最悪の悲劇」だったんだ、という実態がわかり、腑に落ちると同時により強く恐怖を感じた。
オッペンハイマーは科学者として自分の仕事を全うしていたに過ぎず、「リスクの提言はするけど最終的な決定権は自分にない」という言い分も正しい。
一方政治家・軍側も、いくら説明を受けたとは言え、開発者であるオッペンハイマーと同じレベルで原爆のヤバさを理解していたとは思えない。
まして、実験の時のオッペンハイマーの表情を見るに、計算上ではあそこまで威力があるものだとは思っていなかった様子。「低い見積もり」が更に薄まって伝わっているのだし、なにしろあの時点ではまだ誰も「落とした結果」はわからない未知のシロモノなのだから、
「まあリスクはあるだろうけど、コレ落とせば戦争終わるしょ?」くらいのノリでGOが出たとしても、流れとしては納得できる。
ヤバいとわかっているけど、ストップをかける権限がない科学者。権限はあるけど、ヤバさが理解できてない政治家。責任の所在が分散されていることで、起きてしまった悲劇。正直、誰も100%責めることはできないと思った。
「核兵器は使うな!戦争反対!」は当然正しいのだけど、「なぜ起きてしまったか?」を知らずして、再発防止はできない。
同じ悲劇が繰り返される可能性も普通にありそうなこのタイミングで、この文脈で原爆の映画を出したのは意義があり過ぎる。