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オッペンハイマーのsowhatのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
2.0
【天才物理学者も女と国家には振り回される】

天才物理学者オッペンハイマー博士の伝記映画です。ケンブリッジ大学への留学以降の半生を描いています。

映画の冒頭、留学先で実験の失敗を叱責された彼は指導教官を毒殺しようとします。「当時俺はホームシックでちょっとおかしくなっててさ…」と後にサラリと振り返りますが、なんとも奇妙なエピソードです。「倫理観の破綻した天才」という印象を持ちました。

常人には見えない天才ならではのビジョンを、映画は幻視的なシーンを重ねることで表現します。原子の世界を花火で。原爆の被害を白い光と風と女性の皮膚の剥離で。何度か繰り返されますが、映像表現には新鮮味を感じません。

天才科学者の彼は、何一つ自分でコントロールすることができないように見えます。男女関係しかり、兄弟関係しかり、水爆開発をめぐる権力闘争しかり。そんな彼のセックスは女性上位です。彼は巻き込まれ型の人物であり、「NO CHOICE」と呟きながらどんどん原爆作製計画に巻き込まれて行きます。

彼はアインシュタイン先輩を「もう終わった人」と軽視するような傲慢さを持っていますが、一方彼自身も次世代「水爆の父」テラー博士から考えが古いと突き上げを喰らいます。

やっと自分が活躍できる場を与えられた彼は、ロスアラモス国立研究所の建設と原爆実験を成功に導きます。ストリングスのBGMが緊迫感をあおりますが、「三位一体」実験が成功するのは周知の事実であり、スリルはありません。

「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。彼らは自分たちの仕事がもたらした大惨事に、その後どのように向き合ったのでしょうか。科学者たちの苦悩を描くNHKテレビ「フランケンシュタインの誘惑」の方が見応えあるかも知れません。

オッペンハイマー、ラビ、テラー、アインシュタイン、ボーアと多くのユダヤ人の天才科学者が本作のメインキャストです。ナチスの迫害に対し彼らは知性と創造力で対抗し、その成果物は日本人に向けて使用されることになります。

陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。「科学者は想像力で理解できるが一般人には見せてやるまで理解できない」「神の力の啓示を与える」と原爆使用に前向きな発言をしています。原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。その反面、水爆開発に後ろ向きな彼はもう「用済み」扱いを受けます。天才科学者といえども、国にとってはただの「駒」でしかない無情な現実が突きつけられます。

いつも自分の意志を明確にしないまま状況に流されているように見えてしまうオッペンハイマー。そんな彼と対象的なのが、一人は妻キティ。窮地に落ちた彼を励まし、「戦え!敵と握手をするな!」と叱りつけます。妻を主役にして妻の視点から描いていたら、もっと見ごたえのあるドラマになっていたのかも知れません。もう一人は原子力委員会委員長のストローズ。世間知らずでウブなオッペンハイマーと、叩き上げの老獪で野心的政治家、キャラクターの対比が鮮やかです。共通点はふたりともユダヤ人であること。ストローズはオッペンハイマーにメンツを潰されたことを根に持ち、彼の影響力を削ぐためにスパイ容疑で罠にはめます。さらにストローズはJFKとの間にも禍根を残します。もしかしたら後のJFKの暗殺に絡んでいたのではないかと勘ぐってしまうような含みをもたせたシーンでした。史実かどうかは分かりませんが。

証拠がないのにスパイだと告発されたオッペンハイマー。密室での聴聞会のシーンが延々と挿入されます。「自分はスパイではない」と証明することは悪魔の証明であり、当然明確な結論は出せません。国に対する忠誠心を証明しろ!というの無理な話です。日本人という外の敵、共産主義者という内なる敵に容赦しないアメリカが描かれます。聴聞会でスーツ姿の男達とオッペンハイマーの妻が見守る中、突然素っ裸で演技をさせられる異様なシーンが挟まれます。プライバシーを暴かれる羞恥心と罪悪感を映画的に表現したシーンですが、そのあざといシーンのせいでR指定になり子供らが観られないのは残念なことです。

彼の政治的な思想信条はどうだったのか。共産主義へのシンパシーはあったのか。ユダヤ教による宗教的背景はどうなのか。ユダヤ人としての苦悩があるのかないのか。どんな両親のもとにどんな環境で育ったのか。幼少時の特異な体験はないのか。兄弟の関係性はどうなのか。内面にどのような葛藤を抱えていたのか。科学者としての虚栄心はどうだったのか。多数の人命を奪うことになった罪悪感はどうだったのか。生命倫理観はどうなっているのか。なぜ東宝は公開を見送ったのか。本作を観てもよくわからないままでした。ただうつろな表情と「われは死神なり。世界の破壊者なり」というクリシュナの引用による抽象的な言葉があるだけ。あるいは幻視的な特殊効果のシーンが挿入されるだけ。オッペンハイマーという人物に焦点をあてながら結局彼がどんな人なのかよくわからない、不思議な映画です。原爆あるいはオッペンハイマーという人物はそもそもたかが3時間の映画で語れるほど小さな事象ではないということかも知れませし、オッペンハイマーは題材であり主役はクリストファー・ノーランなのかも知れません。

映画の中で彼がもっとも苦悩するシーンは元カノの自殺を知った場面です。本来彼には見えないはずの浴槽での自殺シーンが描写され、彼は気が違ったように嘆き悲しみます。本作中でクールな彼が感情を露わにする唯一のシーンでした。遠くの何万人という異教徒たちのむごたらしい死よりも、身近な一人の女の死の方が彼を苦しめたようです。



【彼の生涯】

1904 ニューヨーク生まれ
1925 21歳 ハーバード大学を首席卒業
1936 32歳 カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学教授就任
1943 39歳 ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任
1945 41歳 人類初の核実験であるトリニティ実験に成功
1947 43歳 プリンストン高等研究所所長に就任
1954 50歳 スパイ疑惑により公職追放
1960 56歳 初来日
1963 59歳 エンリコ・フェルミ賞受賞
1967 62歳 喉頭がんで死去


【追記】本作の宗教的側面について

この映画は宗教映画でもあります。

本作の描くロスアラモス国立研究所の描写はまるで一大祝祭空間です。ここは宗教施設でもあり、無神論者(共産党員)や異教徒は立ち入れません。立ち入った者は罰せられます。

「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。それはなぜか。言葉では語られませんが、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という暗黙の了解があったからではないでしょうか。

悪天候の中、「朝には回復する!砂漠のことは俺がよく分かっている!5時半決行だ!」と宣言するオッペンハイマーはもはや科学者というより司祭様です。「三位一体」実験の成功により祭りは最高潮を迎えます。

スティムソン陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。オッペンハイマーは「神の力の啓示を与える」と神の名を出して、原爆使用に前向きな発言をしています。

原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。大衆に熱狂的に迎えられる彼の心の中では、ひそかに重大な「宗教的変節」が起こっています。原爆被害の実態を知った彼は『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という前提を疑ってしまいます。これは重大な罪に当たります。

『殺してはいけないという戒律はユダヤ教徒の内側にのみ有効で,異教の民には適用されない。神が殺せと命ずれば,それは絶対的な命令である。人間の判断が入り込む余地は微塵もない。もし,人が倫理や感情を持ちだして神の命令にそむけば涜神(とくしん)となってしまう。したがって,命令=契約を素直に,忠実に実行するのが正しい信仰の姿なのである。命令=契約に対して一切の疑義をさしはさむことはできない。』
(諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ 第8講:一神教における愛と平和と皆殺し 東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣 より一部抜粋)

トルーマン大統領との面談で、「自分の手が血塗られた気がする」と正直に吐露したオッペンハイマーを大統領は「科学者ごときが責任を感じるなぞw」「泣き虫!」と罵倒します。トルーマンもオッペンハイマーの宗教的信念の揺らぎを見透かしています。「いまさら日和りやがって!このヘタレが!」と言わんばかり。大統領の全く悪びれず堂々とした態度はどこから来るのか。もちろん、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という宗教的信念からでしょう。

神の忠実な下僕であるストローズもオッペンハイマーの変節を見抜き、彼を宗教裁判(異端審問)である聴聞会にかけます。

オッペンハイマーは原爆を作った罪で断罪されたわけではありません。
彼の犯した罪は…
①無神論者(共産党員)へのシンパシー
②異教(ギリシャ神話やヒンドゥー教)の言葉を口にしたこと
③神の摂理である水爆開発へ疑義を挟んだこと
④核兵器を「国際管理」という名目で異教徒の手に渡そうとしたこと

また、ストローズを原子力委員会の最初のコミッショナーに抜擢したのはトルーマン大統領でした。トルーマンにはエドワード・ジェイコブソンというユダヤ人の親友がいることは有名であり、そしてトルーマン大統領は後にイスラエルの建国を承認します。さらにストローズはイスラエルの核計画の父と言われるベルクマン博士を支援したと言われています。

ストローズの商務長官就任に関する公聴会。上院議員の投票により否決されます(賛成46、反対49)。反対票を投じた中には将来大統領になるJFKとリンドン・ジョンソンがいたそうですが、本作でストローズが口にするのはJFKの名前だけです。JFKがカトリック教徒だったからかも知れません。

原爆がなぜ長崎に落とされたのか。だれがどのように決めたのか、いまだに明らかにされていません。『「長崎の原爆投下は日本とカトリック教会への攻撃だった」(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)』という考察もあります。

本作には悪魔と天使の対決も用意されています。悪魔は無神論者(共産党員)でオッペンハイマーを性的に誘惑するジーン。天使は妻のキティ。聴聞会の場で、ジーンとキティはにらみ合いの直接対決を演じています。

この映画で最も印象的なシーン。ジーンの自殺を知ったオッペンハイマーが森の中の木にすがるように泣き崩れ、それをキティが励ましています。不倫相手の自殺を自分の妻に話したり、それを聞いて励ましたりする夫婦がいるでしょうか。極めて不自然なシーンです。これは夫婦の姿ではなく、悪魔の敗北と天使の導きを示唆した宗教的シーンではなかったでしょうか。原爆の作製と使用を神の命令と信じればオッペンハイマーは良心の呵責に苦しむ必要はありませんが、元カノの自殺には耐え難い苦痛を感じたようです。悪魔と天使の間でオッペンハイマーの心は激しく揺れ動いているようです。遠くの異教徒の大量の死も、彼の心をこれほど揺さぶりはしません。

原爆とこの映画の共通点はどちらもキリスト教徒とユダヤ教徒の手によって作られ、異教徒の理解は必要としていない点にあると思います。アカデミー賞の受賞やロバート・ダウニー・Jrの態度も含めて、「異教徒」である日本人のわれわれには理解が及ばない点が多々あるし、彼らもまた理解を求めてはいないのではないでしょうか。もしドイツの降伏が遅れていたとしたら、トルーマンは同じキリスト教徒の上に原爆を落としていたのでしょうか。
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