痛いくらいに鳴り響いていたのは、そうか、破滅の足音だったのか。
兵器を作る者も使う者も人間なのだ。
「使われる」のも人間なのだと、もっと詳らかに描いて欲しかった、そういう声があるという。けれどあの一瞬から延々とつづく苦しみをどこまで描いたら、描いたことになるのだろう。フィルムの幅にも長さにも、きっと収まるものではないから。
——心臓に悪すぎる。
観ているこちらが問い詰められているかのように、追及の声が迫ってくる。過去から、未来から。
自分のしていることの意味を悟るのはいつで、踏みとどまれるのはいつなのか。それは必ずしも、決まった順序でくるものなのか。
どれが過去でどれが未来なのか、あえて分かりづらくしているようにも見える。複数の時間を並行して生きているような錯覚。
もしかしたら、苦しみも追及も、そのときを描いて終わるものではないから、過去も現在も未来も定まらない、量子力学みたいな世界に描いたのか。足音は昨日も今日も明日も、重なり合って聞こえている、と。