minaduki

オッペンハイマーのminadukiのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.2
直接的に反核を訴える映画ではない
この映画の中では被害者の姿が描かれない(広島、長崎の被爆者やトリニティ実験場の近辺の居住者)
直接的な痛みを見せることにより生じるエモーショナルな反核を狙っていないからだ
そのことにより、この映画は控えめに別の大切なことを訴えているように感じた

この映画を見終わって、核兵器への反対を強くする人もいれば、日本への本土上陸作戦による双方の死傷者を減じるために必要な政治的判断だったと思う人。その後一度も使われたことない核兵器、その抑止力への信頼を厚くした人もいるだろう。
この映画は特定の方向に観客を誘導しようとしていない
ある一つの点を除いては…

直接的に描かれるのは、ある一人の天才科学者が、強い知的好奇心(宇宙に存在する四つの力のうちの一つ”強い力“は理論的には存在していたが、それを実際に見たかった)と科学の進歩への純粋な使命感から生み出した兵器が、自分の予想を超えた殺傷力を持っていたことへの今更ながらの驚愕とそのことにより世界を変えてしまったことへの後悔である。
(オッペンハイマーは、原爆の爆破による破壊兵器としての力は予測していたが、放射能の飛散による化学兵器的な殺傷力は予測していなかった)

その上で映画が間接的に私に問いかけてきたのは、政治が科学を利用したとする定説とは逆に科学が政治を利用したという局面があったのではないか、科学者の中にも政治性があり、そもそも科学と政治は共依存の関係ではないのかということだ

オッペンハイマーがマンハッタン計画の参加を引き受けたとき、原爆はドイツに使われる予定だった。ホロコーストと彼がユダヤ系アメリカ人であったことは関係していたのか、オッペンハイマーの中にドイツへの民族的な報復感情があったのか?

ヒトラーが自殺しドイツが降伏した後、原爆を日本に投下するという変更に多数の科学者が反対を表明した中で、オッペンハイマーがそうしなかったのはなぜか?

彼は広島への原爆投下をラジオで知った事、その瞬間の彼の感情は?作ったのは自分だが使ったのはトルーマンだという認識だったのか?(彼は後にトルーマンに呼ばれて会った時に自分の手が血塗られているようだと訴える トルーマンはあの泣き虫を二度と呼ぶなと側近に命じる)

そもそもマンハッタン計画以前に、アインシュタインがルーズベルト大統領に宛てた書簡でソ連が原爆の開発を目前にしていること。アメリカは早急に最高の学識者を責任者に選び開発を急ぐべきだと進言したとき、アインシュタインは第二次世界大戦後のアメリカの覇権を願ったのか、それとも米ソの均衡による核抑止力の必要性を訴えたのか?

などなど、この映画が与える情報の断片は、私たちの世界をかたちつくっている今の秩序への熟考を映画の中だけではなく外でも促す

この映画が今作られた意味は、
ノーベルのダイナマイト、オッペンハイマーの原爆に次ぐ兵器の第三次革命とされるAIの開発競争が激化する現状で、科学の平和利用と兵器利用を私たちがどのように按分して行けるのかを考えるべき時だというノーランからの提言だと受け取った

『我は死なり、世界の破壊者なり』
劇中で引用されたオッペンハイマーの台詞を反芻する
そして、この言葉を受けて
最後にもう一つ

この映画は戦勝国だ、敗戦国だ、アメリカだ、日本だというナショナリズムで見るべきではないと感じた

原爆を作ったオッペンハイマー、それを使ったトルーマンの罪と同時に、広島、長崎への投下を止められたのに止めなかった者がいたということ
東京大空襲や沖縄戦での10万人を超える民間人の犠牲者を見ながら止めなかった者
降伏することにより、自国民への核の惨禍を避けたドイツは、落とされなかったのではなく、落とさせなかったのだ
そのことを抜きに広島、長崎は語れない

アメリカの科学、アメリカの政治と同時に、この映画は日本の中に、日本人に堪え難い痛みを与えた者がいたことも語っている
そのことを私たちは見逃さない

人間は果たして、他者の痛みを自分の痛みとしてどれほど感じることができるのだろうか
所詮、肉親や家族、恋人や親友へのシンパシーしか感じられないのではないか
国家意識や民族感情に絡め取られない、個としての純粋な人類愛や博愛、(言い方を変えれば人類の種族保存本能と言えるかもしれない)はどのように存在しうるのかということが、この映画の真のテーマだと思う
ノーランは一貫してこれを追いかけている
『インターステラ』を見返してみてそのことを強く思った

この映画は戦勝国の身勝手な懺悔録ではない
当初私は、原爆をエンターテイメントの殿堂ハリウッドが映画化し、それをアカデミーが賞賛したことに気鬱し、この映画の鑑賞を逡巡した
しかし見終わったあと、これはもっと大きなことを伝えようとしている映画だと知った

この映画を日本での公開にこぎつけてくれた配給会社の慧眼と英断に感謝する
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