あなたのやさしさを何に例えよう

オッペンハイマーのあなたのやさしさを何に例えようのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
IMAXで観ると音の迫力がすさまじくて、爆発音の轟音はもちろんだけど、それ以外でも”嫌な音”が劇場に響き、生理的に核兵器を拒絶してしまう。

「唯一の理解者たちを遠ざけないで」

トリニティ実験の直前にバーで、爆発規模で賭けをするメンバーたち。その異常さ。
カウントダウンが進むにつれて、緊迫感と(この作品を観に来てしまったことへの)後悔がこみ上げてくる。(全然違うんだけど、IMAXで観てると、ジェットコースターで頂上に登っていくときのような感覚になった)
爆発すると画面いっぱいにうねる炎が逆に美しかった。火山を眺めているようだった。そしてしばらくして爆音が響く。ただただ恐ろしい。

原爆投下場所を話し合う時「京都は外した。日本人にとって文化的な重要性があるし、私たち夫婦の新婚旅行先だからね。素晴らしい所だ」というセリフがに出てくる。なんてことこれには怒りと拒絶を覚えた。

ロスアラモスでの「勝利演説」のシーン。聴衆が足を踏み鳴らす地響き。熱狂的な歓声。
それに応えるためにオッペンハイマーも「日本は大損害を受けたはずだ」「ドイツにも喰らわしてやりたかった」と言って煽る。さらに喜ぶ科学者や関係者たち。人を殺すことをこんなにも喜んでしまえるとは。
次第にオッペンハイマーの視界は白くなり、歓声は爆発音に変わる。笑いは悲鳴に、歓喜の涙は苦痛の涙に。
外に出ても目眩のような幻想は続く。(おそらく酒の飲み過ぎで)吐いてる男が、原爆で苦しんでいるようにも見える。

どうして人間は、本来対極であるはずの感情すら、同じ形で表現してしまうのだろうか。わたしたちはうれしくても泣き、悲しくても泣く。楽しくて叫ぶときもあれば、苦しくて叫ぶときもある。
そこが人間の素晴らしさなのかもしれないが、世界を複雑にしている原因でもあるかもしれない。
そんなことを大迫力で壮大な本作を観ながら、ずっと考えていた。

トルーマン大統領との会話
「二度と呼ぶな」

結局ストローズの個人的な恨みじゃん
しょうもな

アインシュタインとの会話
「君は以前、バークレーで私に賞をくれ、お祝いをしてくれたね。しかし君たちは、私が自分の始めた理論をもはや理解できなくなってしまったと思っていた。だからあの賞は私のためではなく、君たちのためのものだった。今度は君が君の達成したことの帰結と向き合う番だ。そしていつか、君が十分に罰を受けたころ、人々は君にごちそうを用意し、お祝いのスピーチをし、メダルを与え、すべて許すと背中をたたくだろう。しかし覚えておくんだ。それはどれも君のためのものではない。祝福する人たち自身のためのものなのだ」

「良心の呵責」って一言で片付けようとしてはいけない。
オッペンハイマーの苦悩についてわたしたちは共感することはできないだろう。自分の研究が世界を壊す強力な兵器を生み出す、という経験はほとんどの人にとって無縁なことだけど。それでも、どんなに小さく見えることでも、理解への手がかりにできるようなことはあるはず。
「アクセス権の剥奪」というのは、自分の人生で最も大切なものを奪われたことと等しい。

いろいろわからないこともあったけど、「わからないな」と思えるのも、他の方々の感想を見てなるほどなと思えるのも、本作をビターズ・エンドが配給してくれたからで、とても感謝。

いまこそ観るべき作品だと言うけども、もう遅い気もする。
決定的にわかりあえない奴らがいることを知ってしまった。
でも世界を壊すわけにはいかないのだ。

24.04.01
グランドシネマサンシャイン池袋

▼参考▼
https://note.com/uchan_ssr/n/n7248ab62d06f

「オッペンハイマーは雨粒の間をすり抜けるように自分の道徳意識と折り合いをつけている(Oppenheimer is dancing between the raindrops as to where he stands, morally)」

https://note.com/dj_gandhi/n/ncf406716af1f