広島カップ

オッペンハイマーの広島カップのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
広島長崎に投下された原子爆弾の開発に携わり原爆の父と呼ばれたロバート・オッペンハイマーは親しみを込めて呼ばれる時、オッピーと呼ばれていた。
日本人としては彼がホッペンハイマーでなくて良かったと思うところ。もしそうだったらもつ焼き屋で酔っ払う時にイチイチこの作品の事を思い出してしまうことになるところだった。

どうしても心に残るシーンが砂漠の核実験場における燃え盛る地獄の火焔のような原爆の炎。
もつ焼き屋の焼き台の炎とは桁違いのパワーのこの火焔のシーンには人の呼吸音のみが付けられている。
この場面を観ているだけで怒りと共に涙が溢れて来る。広島長崎のなんの罪もない市民を10万人以上焼き殺した炎だ。呼吸音は無念の気持ちを胸に抱く暇も無く亡くなって行った人達の息遣いに聞こえてしまう。
原爆資料館に行っても見ることはできないスクリーンの隅々までを埋めた火焔。ノーラン監督も精一杯だったとは思いますが本当はもっと凶悪なものではなかったかと推察します。
三時間の上映時間のうち一分にも満たないこのシーンは心して観て欲しい。
「なんて事をしてくれたのだ!!」何故人類はこんな物を生み出したのかと全ての人が感じる恐ろしく生々しいシーン。

おそらくはホッピー...いやオッピー※でなくても愚かな人類はいつか誰かがやったに違いない。原爆を開発したことを悔いている彼一人に責任を押し付けるのは当然間違っている。

惜しむらくは彼は開発前に取扱説明書を作っておくべきだったと思う。しかし到底作れないのがこの手の発明品なのだ。取説が作れないと思ったら開発をすべきではないことを科学者達は肝に銘じるべきだと思う。開発物が悲劇を産まないように手元の難解な計算式ばかりでなく、科学者達には先を読む能力、つまり哲学が求められると思う。

※完全に蛇足ながらエンゼルス時代の大谷翔平とバッテリーを組んでいた捕手にはレオ様似のイケメンキャッチャー...
ローガン・オホッピーがいた。
こっちもこっちで日本人としては困るところ。
「御ホッピーおひとつ頂けるかしら?」と東京下町の汚いもつ焼き屋で妙齢の御婦人が注文をしているところを想像してしまう。
「ホッピーセットね、白ネ」でいいのに。
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