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オッペンハイマーの8のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
公開延期とか被爆国民とかノーランとか、或いは単純に面白かったからとか、幾重にも重なった理由によって何かと語り口を探してしまう映画だと思う。何の前情報も入れずにみた場合感じるのは、投下シーン、科学的政治的社会的考証の目に見える形での説明やSF的アイデアの不在と、それに呼応した、科学者の伝記的記述にまでは振り切らない等身大な人物像の形成を主題としたことなどだろう。忘れないうちに、個人的な所感も走らせておきたい。
まず、公開延期させるほどの不快感を伴うようなシーンは見当たらなかった。これは宣伝によってどうとでもなるから、ネットの炎上マーケティング拡散を恐れての逃避としか断定できない。日本人を描いていないという炎上の仕方は最後まで見れば焦点が違うことがわかるからならないし、描いていなくても原爆関連の映画を作ることはできることのすごさ、自分たちの想像力の低さに頭が下がるとすら思う。徹頭徹尾この映画は真摯なアメリカに向けて作られていて、日本の観客をほとんど意識していない。これを機に、原爆=悪という図式が見直されるべきだと思う。日本人がアメリカを、原爆を落としたから悪と言うのは何かしっくり来ないとずっと思っていたけれど、ヒントをもらった気がする。元はナチスに投下することを目的として製作が始まったと考えるなら、憎むべきはナチスと同等にまで堕してしまった当時の日本の上層部だろう。しかしまぁ憎む感情自体がもはやナンセンスで、戦争から学ぼうという気があるのなら科学的な処理の仕方がもっと行われて良いはずである。これが原爆映画としてこの映画を見た場合の感想。次に、ノーラン映画として見るとどうだったか。ノーランの最高傑作ではないことは間違いない。何故かというとノーランらしさは希薄だから。派手なスペクタクルも、時系列の配置も、SF的アイデアも、いつものようには見られないため、記名性はこれまでの意味では少ない。ノーランの映画には二つのタイプがあって、それは「何かテーマとなる謎や課題が始めに提示されて、その解決や解明を図る」というものと、「自然な導入から主人公と追体験する形で物語を追う」というものである。これらは明確に似て非なる。前者のイメージの強いノーランだが、後者に当てはまるものとしては、バットマン、プレステージ、ダンケルク。これらの連作は制作時期も連続しているから、ノーランはこの中期に回帰していると言える。中でも近いのは、戦争映画だけれど、ストーリーだけに関して言えばダンケルクでなくプレステージだと思う。それは主に技術を扱って人生を歩んでいたつもりが、技術に振り回されていたというもの。と言いつつも実際はむしろバットマンの英雄像の掘り下げ、プレステージの技術に主体が翻弄される展開、ダンケルクの戦争中の社会という要素の融合でできている。
最後に雑多な感想をいくつか。この映画はロバートを掘り下げながら英雄、科学者、世界の手綱を握った素朴な人間などメタファーを織り交ぜつつ、私たちがこうあって欲しいと思う歴史人物像を超えられない範囲でキャラクター仕立てにしていく。だから序盤とはいえ最後までロバートに全く色気を感じさせないので、セックスシーンのつまらなさには笑止する。またフローレンスのキャラとの関係の掘り下げが活きているとも感じずらい。周りに支えられたり裁判で助けを受け取ったりするシーンはたしかに表情が変わらないながらの感情の変化がうまく表現されていて多少の人情を感じさせるものの転換までには至っておらず、演技としては失敗と成功のギリギリのところである。特に序盤、ロバートの頭の中に現れる核分裂核融合のイメージは、蛇足だし、映像として面白くないし、それら知識や量子力学についての一般認知度が広まった現代では貧相に見える。このあたりはノーランが歳を取ってしまったのかと若干の冷や汗をかくところで、やや危うい。ただし音響はすごい。これは視聴環境に依存するが、あの重低音で本当に皮膚や体が震える音の波はDUNEと同じく素晴らしい。アトラクションとしてはもちろん、映画への理解もより深まる。音を聞きにいくためだけに映画館へ行ってもいい。むしろそうした需要はもっと活発になるべきで、クラブのスピーカーでは精神を集中できないのである。後半、RDJは反撃を受ける。その時の独白、全てを説明的に話してしまうシーンは完全に失敗している。わからず見ていた人にとっては伏線と言える伏線でもなく急に言葉数が増えたとしか認識できないし、わかっている人にしてみればそれはいくらでも工夫できる。これまでの登場人物たちの秘めたる内省的なトーンを一気に崩してしまっていて、よくない。登場人物の名前が離れたところから出てきたり、離れた時間の出来事が出てくる時にインサートが入るが、あの手法を良しとするか。確かに分かりずらい映画ではあるからそれは補助として役にたつかもしれないがそれなら初めからわかるように作るべきだ。むしろその説明カットのせいで無駄な切り替わりによる集中力の消費が増えている。別にこの映画はロバートの伝記映画でも歴史的戦争映画でもないのだ。
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