むらた

オッペンハイマーのむらたのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

2024年51本目
情緒がグシャグシャなので乱文

オッペンハイマーの栄光と没落
彼の人間としての弱い部分と、 科学者たちの狂気、善意と学術的興味に揺れる部分を精密に描いていた。

SNS等で「もっと広島と長崎の惨状を描くべきだ!」「結局白人サマの映画か!」などの声を聞いていたが、
あくまで個人的な意見で、この作品において広島と長崎の惨状を直接的に描く必要は全くない、いや、描いてはいけなかったと思う。

この作品はオッペンハイマー目線の物語であり、彼はラジオで惨状を聴いただけだからだ。オッペンハイマーが感激ムードに乗ったのも、そこで見た原爆被害者の姿が本来より甘いのも、彼の人間性の弱さを描いている。死体の上に立っている表現も、死体は黒く脆いが、それでいてその表情は見えない。
スクローズがオッペンハイマーのことを「罪悪感で責任から逃れたい云々」(正確なセリフは忘れたので意訳)と言っていたり、一時の感情で嫌いではない教授のリンゴに青酸カリを入れたり、前線から退いたアインシュタインに対して「我々は破壊した」と自分と同じ括りにしたり、とにかく弱く、辛い現実から目を背けたい性格なのが随所から滲み出ている。そんなオッペンハイマー目線の物語に『核の被害の現実』を入れることはできないと思う。
その後自分の「原子爆弾の父」という名声を政治利用したのちに水爆反対派になるのも、彼なりの贖罪であり、罪悪感と後悔に呑まれた末のある意味責任逃れとも言えると感じる。

それにこの映画は大衆娯楽の一つであって、反核映画であるが、「長崎と広島に捧げる映画」ではない。とは言ってもそこに疑問を抱いてしまうのは日本人のサガなのだろう。

テラーを始め科学者がストローズ側として証言するのも、水爆や軍事拡大を支持するのも科学者としての興味と善意とで揺れた末の考えだったり、赤狩りに怯えたりだったりの結果であると思う。特に当時の共産党員への風当たりと処遇は厳しく、オッペンハイマーの生徒が線路整備になっているのを筆頭にどれだけ技術や頭脳があっても社会の端っこに飛ばされてしまう状況でオッペンハイマー側の方につくのは難しいだろう。
本作は人間を「良い人」「悪い人」という一面的な視点で描くことはせず、「すごく仲が良かったのに対立してしまう」など人間の多面性を描いていた。

アインシュタインに話した「我々は破壊した」は、テラーに指摘されて怖がっていた連鎖反応が物理的に起きたわけではなく、兵器を生み出したことで世界中で連鎖的に軍拡が進み核の開発が行われ火の海となっていくことを表現していてとても好き

今までのノーラン監督作品と比べると時間軸のズレもほとんどなく、視点の違いもカラーとモノクロでわかりやすくやっていて比較的見やすい作品ではあったと思う。そこもよかった。
むらた

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