春とヒコーキ土岡哲朗

オッペンハイマーの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

背負えない責任を抱えた人間と、人類。


実際に人と会話しているような時系列。

戦中や戦後の時系列が行ったり来たりするけれど、そこの混乱はなかった。たとえば人からその人の半生を聞くときの、「今こうなっているのは、あのときああだったからで。あ、その人と出会ったのはもっと前なんだけど」と、話の流れに沿って時系列が前後するときのような感覚。だから、時系列ではなく因果関係で出来事を並べた構成で、そこは見やすかった。

ちょっと混乱したのは、オッペンハイマーが受けている聴聞回と、ストローズが受けている公聴会の目的が丁寧には説明されないこと。鑑賞後に調べて、ちゃんと理解した。
オッペンハイマーは、彼を追放したい勢力により共産党との関わりを追求されている(戦争責任に関する審問ではない)。ストローズは、彼の出世のために人柄の確認で公聴会を受けている(本来は何かの責任を問われるために設けられた場ではない)。
たしかに、何の目的で開かれている会なのかは、この映画には関係ない。観ているときは戸惑ったが、その説明が少ないのも納得はした。


能力に罪はないが、絶対に正義の能力も存在しない。

化学反応を表現した映像が挟まる。
学問として化学を探求する人たちがいて、発見して新しいものを作り出すことには憧れる。最初のうちは、ときどき挟まる化学反応の映像に、その格好良さを感じてみていた。しかし、話が進み、オッペンハイマーの研究が自分の知っている結果に近づくにつれ、化学反応の映像が怖いものに見えた。
純粋な探求心が、利用目的によっていつの間にか恐ろしいところに行きつく。科学者たちは、研究への熱意を、国が求めているという大義名分で後押しされ、疑う気持ちを無視して突き進んだ。
能力自体に善悪はない。だから、気づかないで、気づいていても無視して、作るべきでないものまで作ってしまう。できるからと言ってなんでも成し遂げたら幸福なわけじゃない。

終戦後に、オッペンハイマーが演説をして拍手喝采を浴びるシーンは、怖くて悲しかった。同じ人間があれを拍手喝采していて、あんなに怖いことはない。拍手を浴びるうちにオッペンハイマーの視界は強い光に包まれ、人々が辛い姿に見えてくる。そのときには喝采が悲鳴のようにも聞こえた。


背負いきれない罪への反応。

オッペンハイマーは恋愛関係が乱れていて、妻がいても過去の恋人ジーンと会っていた。しかし、ジーンにも深く寄り添うことはせず、ジーンが命を絶つのを止めることができなかった。ジーンの死を知って悲しむオッペンハイマー。彼は、妻に「自分のせいだ」と動揺を丸出しにする。妻からすれば、浮気された上に動揺にまで付き合わされている状態。
ここで妻は彼に「罪を犯しておいて、その結果に同情を求めるな」と言い放つ。
自分が悪いんだと嘆くことで、他人から慰めてもらい罪の意識を軽くしようとするオッペンハイマーの深層心理が透けて見えたのを、妻は許さずにハッキリ言葉で表す。
この言葉は、のちに彼が背負う原爆の罪についても言い表している。このセリフを聞いたときに、ここから彼の「責任」の話が始まるんだなと身構えた。

そして、原爆が完成してから彼は案の定、自分の罪に動揺し始める。完成したら、どう使うかは彼の権限ではなくなり、政府に持っていかれてしまう。これから起きることが自分の責任になると感じ始めてから、ようやく自分のしたことの危険性を感じ始める。
しかし、彼には良心の呵責があった、という話ではない。

映画の序盤にあった、オッペンハイマーがアインシュタインに何かを言って、アインシュタインの顔が険しくなったシーン。ラストで、このときオッペンハイマーが何を言ったのかが分かる。
彼は原爆の研究中に一度、アインシュタインに相談して数式を見てもらおうとした。アインシュタインは「君の研究だから」と数式を見ることを断った。
オッペンハイマーはそのことを持ち出し、原爆をこのまま作っていいか不安だから数式を見せたのにあなたは止めてくれなかった、「“我々”は世界を破壊した」とアインシュタインに言った。
この映画は、「責任転嫁」の話だった。

オッペンハイマーは、「不安を感じてこのまま進んでいいか迷っている」とはアインシュタインに言っていなかった。だから、「そういうつもりで相談したのに」という発言は責任転嫁。
一方、じゃあアインシュタインは何も責任がないのかというと、あるのかもしれない。オッペンハイマーの言う通り、罪を背負うのを拒む気持ちで、我関せずと数式を見なかったのかも知れない。

オッペンハイマーが年老いて勲章を受けるとき、そこには聴聞会で彼を裏切る不利な発言をしたボーデンもいた。ちゃっかりと祝いに来た彼の握手を、オッペンハイマーの妻は拒絶する。大きな裏切りをしても、そのときはそのときだし、仲がいいときもあったよね、くらいで近づいてきたボーデン。「そのときの状況に流されて、自分の最善の行動をした結果、人を傷つけたのも仕方ないよね」という態度で彼は授章式にいた。
彼は、この映画では小さい規模でそんな態度を体現している存在だが、それはオッペンハイマーや原爆に関わった人物たちが取ろうとしている態度でもあって、この映画全体のテーマ・責任の無自覚や放棄の話とつながる。
そして、その態度を平然ととれない人間、許されないと心の中で気づいている人間は、言い訳をし終わることがなく、ずっと言い訳をし続けることになる。そんな一個人の話でもあるし、そんな人類全体の話。