三隅炎雄

賭場の牝猫の三隅炎雄のレビュー・感想・評価

賭場の牝猫(1965年製作の映画)
2.6
『賭場の牝猫』『賭場の牝猫 素肌の壺振り』。野川由美子の賭博師もので大映の江波杏子の女賭博師シリーズが始まる前年の映画、先輩である。特徴はお色気描写と、菅井一郎・藤竜也の刑事コンビを使って、完全なアウトローものになるのを避けていること。野川がドスで人を殺める前に刑事コンビが割り込んで解決の形になっている。会社が女アウトロー映画に徹するのを躊躇ったということか。二作共にモノクロの安普請な映画で、脚本は構成台詞そうとうお粗末、監督の野口は野川のスタア映画の体裁だけはかろうじて整えてみせた感じだ。
一作目の二谷英明に刺青を入れてもらう野川が身悶える場面は露骨に性愛描写の代替で、時代を考えるとかなり思い切った演出かもしれない。墨を入れる表現をボカして、サディズムを薄めてあるのがこの時代なりの配慮なのだろうか。死んだ二谷のそっくりさんが登場の二作目『素肌の壺振り』、野川はトルコ風呂勤め、女性器をつかったイカサマもやって見せる。ここも肝心なところを曖昧適当に誤魔化しているので珍妙な描写になっている。

シリーズ最終3作目『賭場の牝猫 捨身の勝負』。二谷英明が二度死んでキザな流れ者宍戸錠に交代、無国籍寄りに。菅井一郎・藤竜也の刑事コンビは消えた。そのスジが見たら余りに適当な描写の連続に激怒しかねないいい加減なお色気任侠アクションで、口が裂けても面白いとは言えないけれど、大蔵新東宝に近い駄菓子的味があるにはある。旅先の組の跡目を継ぐことになった野川が、その襲名式で自ら女剣劇調に片肌脱ぎ太腿あらわに剣舞をサービスする、何事もお色気優先のデタラメにはあきれ返る(で少し感心したりも)。極まったチープさで元祖任侠エロVシネと言ってもよい。ルーツ的存在だ。
宍戸錠はいかにもお付き合いっといった風情で、これといった見せ場があるわけではなかった。
三隅炎雄

三隅炎雄