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『エノケンの青春酔虎伝』に投稿された感想・評価

Hiroking

Hirokingの感想・評価

3.0
〖1930年代映画:コメディ:PCL:日本映画傑作全集〗
1934年製作で、エノケンこと榎本健一主演映画の記念すべき第1作のミュージカル喜劇のような作品でした。

2023年1,807本目
✔『青春酔虎伝』及び( 3.2p)『エノケンのちゃっきり金太』(3.2p)『エノケンの近藤勇』(3.7p)▶️▶️

 20歳前後にオールナイトやFCで、戦前の看板映画の一つ、エノケン=カジロウ(8/9記~敬称としてはヤマカジかなとどこかで聞いたのでいいのかなと思ったが、実際に使用例が見当たらないので「ナンデモカジロウ」から持って来たが、1960年代には「ヤマカジ~」で通ってた、と後で知る)の映画を数本観た記憶があり、本作も観た記憶があるが、概して平板で押しに欠ける感。中川や石田の映画拘り派の方が遥かに印象的だった。だが、それは根っからの都会派というのか、舞台の直截性や映画の一般性を間に挟むだけでエノケンの直に伝わる個性の拾い上げに留めたのか·拘ったのかは言い方になるが、余計な映画的解釈は遠ざけた、慎重さやセンスによるのかもしれない。事実、それはエノケン自身と多くの観客に支持されたのだ。海外で自作の舞台を、そのまま映画に持ってくるのは、ギトリ·パニョル·マルクス兄弟初期·リヴェット初期·カサヴェテス中期が有名だが、やはり映画への取込みや演劇観が個性的にはたらいていたと思う。
 山本は、エノケンのレビューを手を加えたを感じさせず、映画に昇華させる。『~酔虎伝』も、ストーリーは殆ど意味なく、直接かつ洗練と身勝手が併さったようなエノケンと一座が、演劇的眼前のスピードとレビューを映画的に突き抜けさせた爽快感の世界が繰り拡げられる。女子大隣接忌憚ない交流と、大学留年重なり限界の卒業試験臨み、心配してくれた悪友らの方が留年。卒業すると、父をついでいきなり社長、乗り気でなかった結婚も思わぬ名花が相手、その「デレ助」「ヒステリには自信」ぶりと·婆やや旧学友絡み、その1人が学業から店を持つに乗り出すと嫌がらせピンチが、それを退治し·また纏まる主人公ら、とたいした苦難もないツギハギのストーリー。野へ限りなく伸び行く女学生らのレビューまがいと·その中の主人公らの芸。フランクも厚かましく、いい加減な男女学生関係や·師のあり方。会社や新婚生活をキッチリおかしく、妻の千葉の方がCUやカット割り丁寧。ラストの大乱闘迄、パンやフォローと溶け合うスピード、アクションはカット詰めてモンタージュの力も、傾き図やカメラに向かい観客への意見求め(反響)も、ミニチュアもボンボン嵌め込み·並べる軽快感、俯瞰やローや仰角も多彩スッキリ整然、自然もセットも伸び伸び。映画としてどう受け取ればいいんだ?というところ。
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 『~金太』は、時代劇セットと雰囲気、スリや岡っ引のプロ意識と女の情へのつれなさ、互いをスカし合うも·くっつき離れられない感の捕り手と逃げ手の間柄も、一座の怪小道具の絡まりドッキリ力や·二重にスリの存在の深み、宿内や河原を突切り走りとカメラのスピード·スマート感、と映画として何より1級で、舞台におもねった薄っぺらさなどなく·セット内外とその扱い切り取りが適確、フォロー以外に寄るや廻るめ移動等もしっくり·カッティングも立体的に対処世界へまとわり付く。役人に啖呵·十手見て急に弱気、でも友を守る意地保持の脇役らまで、芸達者ぶり。幕末の、佐幕派·官軍·そしてそれにかこつけて威張る田舎侍ら·密書確保のすり抜け、らの囲み·軽犯罪絡みの主人公らの流され流されての、力学。とまぁ、もしかして『幕末太陽傳』並の秀作だったかも知れないが、半分くらいを切った総集編での鑑賞。ギャグや話の顛末がしっくり示されないままにFO、次のエピソードが矢継ぎ早に。納得すべきものが残ってかない。何だか予告編寄りの本編みたいで、別の意味で捉えどころが弱い。
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 しかし、今回初めて観た『~近藤勇』の舞台の、いい加減·傍若無人ぶり、しかも嫌らしくしつっこくもなく、この映画としてのシラケぶりと·妙も真っ当な見つめ方の同居。この辺がエノケン一座舞台感か、と妙に満足·それ以上の映画的無法ぶりも感じさせ、納得できた。しらじらしさと筆力の濃さの印象焼付きは素晴らしい。
 エノケンが、「時代の止められない流れ」を承知し、隊員の花街への恋の肩入れもこっそり応援の、柔軟さを持つ·高下駄で力発揮の近藤勇と、極度の近眼で眼鏡を手放せない、戦乱を避けたい坂本竜馬の二役をやり、立場は違っても引合う仲で会見直前迄ゆく。ここでも敵は、時勢に乗ず(田舎)侍ら、はみ出し者を主義越えて始末の忍者姿群、だ。寺田屋·池田屋事件ら、時系列はいい加減みたいだ。
 エノケンらのCU表情力の見得以上好き勝手、フラメンコやボレロから和楽·音頭·歌舞伎の囃子·ラーメン笛まで持ち来て·音のリズムに合わせての竹刀合わせ·芸者遊びらの弾力付け、暗闇に光る刃合せと大藤アニメ挿入、斬られ役の延々過ぎるシラケてもきそうな断末魔、フォロー移動は普通も·寄る(心理的)移動は少、文楽の黒子的に主人公を助ける「間諜X○」の存在の大胆いい加減さ、大扇·超高下駄·分厚い眼鏡らの主張小道具、人影のメイン動き場や·サイレント的囃子動き絡み群、殺陣のメリハリ目一杯と·瞬間極めらカッティングも詰め締め、各思わぬ弱み見せる本音漏らしや·顔と反比例にいい事言う近藤担当芸姑、男役いる宝塚まんまの嵌め込み役柄とパート。これらがバラバラでなく、空恐ろしい、白々しさで繋がり、隙のない、映画か舞台か分からない独自どぎつい侭に滑らかど艶あるキャンバスを作ってる。エノケンなま舞台を勝手に掴んだ気すらする。映画ではエノケンの真髄は無理と思い込んでたので、何割か感得出来た気がして、嬉しい。
 この辺りの山本作品の撮影は、この3作を始め多くを、全盛期伊藤大輔を支えたあの伝説的名手で、その機能性·光沢、それを見てるだけで、満足感を得れる。エノケン=カジロウのコンビを割と軽視してたが、完全な形で見通したら評価も変わってくるのかもしれない。
榎本健一が山本嘉次郎監督とのコンビで、東宝ドル箱ミュージカル喜劇エノケンシリーズの記念すべき第1作となった秀作。デヴュー前から浅草で二人座長だった二村定一と歌い踊りの学友が、エノケンが千葉早智子との新婚家庭を築いたのを機に絶交していたが、二村がビヤホール開業で再会。そこでヤクザとの大乱闘で、エノケンの体を張ったアクションの迫力は歴史に残る名シーンとなった。また、新妻千葉の焼き餅を焼く表情の愛くるしいさも格別であった。