ビンさん

たまつきの夢のビンさんのレビュー・感想・評価

たまつきの夢(2022年製作の映画)
4.0
シアターセブンにて鑑賞。

僕の父方の祖父はかつて、ビリヤード台職人だった、と生前の父からよく耳にした。
現在、NHKの朝ドラ『ブギウギ』がオンエア中だが、モデルとなった大阪松竹歌劇団、いわゆるOSKの劇場であるかつてミナミは千日前にあった「大阪劇場」。
そこにビリヤード場もあったそうで、そこに設置されていたビリヤード台を作っていたという。
ベースは大理石で、そこにクロスを貼って作るもので、いわゆるポケットのない構造である。
僕の父が昭和9年生まれなので、時代としては昭和初期の頃だろう。
その後、ビリヤード台職人から木製飛行機技師になり、大阪から奈良は天理の柳本飛行場へ仕事の場所は移ったとのこと。
祖父は僕が生まれるより前に他界しているので、すべて父からの又聞きなので、諸々直接本人から聞きたかったエピソードだ。
かくいう僕はお恥ずかしながら、今までビリヤードはたった一度しか経験が無くって、知識もほとんど無い。

ちなみに父方の祖母は、道頓堀浪花座でお茶子をしていて、同僚に浪花千栄子さんがおられたとのこと。
こちらも朝ドラ『おちょやん』で描かれた。
「わてはへちゃ(不美人)やったけど、あの人はべっぴんやったから女優にならはったんや」
と、僕が幼かった頃に、祖母が言ってたことを思い出す。
もっとも、幼い僕には浪花千栄子さんが誰かよくわからなかったけど。

閑話休題。

田口敬太監督の『たまつきの夢』は、その父が製作に携わっていたというビリヤード(撞球)がテーマのひとつになっており、しかも現代ではなく太平洋戦争初期の時代が舞台ということで、シアターセブンで流れる予告編を観る度に興味が募っていた。

そもそもレトロ趣味でもある僕は、予告編から伝わってくる世界観に、
直感的に「嗚呼、好き」
というフィーリングというか肌感覚というか、そういうものを感じていた。

とある地方の町。
軍需工場の経営者で地主である熊野(山口大地)の妾であるきし乃(辻千恵)がヒロイ
ン。
同じく妾である春代(佐藤睦)とともに、熊野の屋敷で暮らしている。
春代と他愛のない会話や共に口琴を奏でて日々を過ごしていたが、ある日、熊野から戦地にいるきし乃の弟が戦死したとの知らせを受ける。

じつはきし乃には恋人、亀山(木原勝利)がいたが、弟戦死の報を聞き世を儚んだ彼女は、亀山と心中しようとするが、怖気づいた彼の態度に、自分一人で死のうとする。
そこに現れたのが浅次郎(金井浩人)という青年だった。
彼は町にある撞球場に暮らしており、いつかビリヤードの優勝者になる夢を持っていることをきし乃に告げる。
が、彼は結核を患っていたのだった。

ユニーク、といえば語弊があるが、ヒロインきし乃のキャラだ。
弟の戦死の報を聞き、自分も死を選ぼうとするが、そこにあまり悲壮感を感じないのだ。
それは、熊野という男の妾になった時点で、心を殺してしまったのかもしれない。
それでいて、亀山という恋人もいるというのだから、かなり強かなキャラのイメージがあった。
そんな彼女も、浅次郎と出会うことで、生への意識、執着が強くなっていく、というように僕は感じた。

撞球も風紀的に規制される時代であり、人の娯楽をも奪ってしまう中、撞球を通じて人の世のポジティブな歩みを描いた本作は、極力会話を排除し、映像から物語を受け取るよう観客に委ねている。

一から十まで、逐一説明的な作品も重要かと思うが、今回のスタイルは、スクリーンの中と観客との一対一の真剣勝負であり、映像自体はどちらかといえば静謐なのだが、僕の心のなかではけっこうスリリングな映像体験だった。

また、本作は写真も重要なアイテムとして登場する。
浅次郎はきし乃と過ごした時間を写真に残そうとする。
「形あるものはなくなる」
と、きし乃の言葉に同意するも、浅次郎は写真を残す。
映画の冒頭とラスト、幾枚もの写真が提示される。
名もなき今は亡き人々の、しかしその被写体となったその時間は、写真となって後世にまで残るのだ。
映画もまた同じく。
それらをひっくるめて、一つの時代を確かに生きた人々の物語は永遠であることを示唆した、プロローグとエピローグのシークエンスが活きてくる。

じつに素晴らしく素敵な一編だった。

きし乃を演じる辻千恵さんが素敵だ。
本作のヒロインのイメージにぴったりの俳優さんであり、本作の完成度の高さの大きな要因かと思う。

舞台挨拶後に田口監督共々、僕の祖父の話を興味深く聞いていただいたその眼差しに、強烈に魅せられたことを、ここで白状(笑)しておく。
ビンさん

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