じゅ

イニシェリン島の精霊のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

バンシー(banshee)って、近いうちにこの家の人が死ぬぞと泣き叫ぶアイルランドとかスコットランドの女の妖精のことだと事前に調べてたんだけど、べつに必要なかったな。コルムが説明してくれてたし。


1923年。イニシェリン島に住むパードリックはいつものように午後2時に親友のコルムをパブへ誘う。しかし彼は突然無視を決め込むようになっていた。他の者には変わらぬ態度をとるコルムだが、退屈なパードリックを嫌いになったという。ついには「俺を煩わせるたびに俺の指を切っておまえに渡す」とまで言い出す。
彼の剣幕に押され、他の友人や妹のシボーンにも強く止められたパードリックは、しばらく関わりを絶っていた。しかし、島の警官が息子のドミニクを激しく殴ったことや、その警官がコルムと飲んでいたことから、ウィスキーの力も相まってパードリックはコルムと警官に絡む。翌日、コルムは自らの左手から切断した人差し指をパードリックの家のドアに投げつけていった。
その後、ドミニクと話して強く出るべきと思うようになったパードリックは、コルムの家の扉を蹴破り一対一で面と向かって彼と話した。彼は新曲『イニシェリン島の精霊』を書き上げていた。完成を祝ったパードリックはコルムをパブに誘い先に行っていたが、2時間待ってもコルムは現れなかった。シボーンからの相談があるとのことで帰る道中、コルムとすれ違った。彼の左手の指は全て無くなっていた。シボーンの相談とは、島を離れて本土へ行くというものだったが、島の人間に耐えられなくなった彼女はすぐに荷物をまとめて出て行った。
パードリックがシボーンを見送りに行く間、パードリックが大切に飼っていたロバのジェニーがコルムの指を喉に詰まらせて死んでいた。パードリックはパブへ。コルムにジェニーが死んだことを告げ、報復で次の神の日にコルムの家を焼くと宣告する。当日、宣告通りに火を放ったパードリックは、外に出されていたコルムの愛犬を連れて帰った。燃える家の中にはコルムの姿があった。
コルムはその後外に出て生きていた。海岸に立つコルムのそばにパードリックが立つ。家の火事でロバの件はおあいこだと言うコルムに、パードリックはおまえが生きているからおあいこじゃないと言う。2人の対立は墓場まで続くのだそう。


なんとなくの想像で、コルムがバンシーによる死の宣告というか泣き声を聞いて遠くない自分の死を知ってしまったから、パードリックがそんなに悲しまなくていいように縁を切ろうとする、みたいなことを思って劇場に行ってみた。全然違った。
観たかんじの印象、賢者と愚者の対立とでもいえばいいんだろうか。賢者と愚者と言うとどっち側にも極端だな。インテリとそうじゃない人というか。知識人とそうじゃない人というか。そういえばパブのおっちゃんがコルムを"考える人"ってかんじに言ってたっけ。それかも。考える人とそうじゃない人の対立。どっかの国のいつかの彫刻のことじゃなくて。あるいは都会的な人と田舎的な人の対立であったかもしれない。

都会的な人と言ったのは、コルムとかシボーンのこと。音楽や読書を嗜み、一人での思考の時間を大切にして、他者とはほどほどに距離を取りたがる。他者とはほどほどに距離を取るからそこまで気にすることもない。
田舎的な人と言ったのは、パードリックとかドミニクとか、あとは店のばばあとか。噂とか身近な出来事を知ることを好んで、他者との関わりを大切にして、積極的に距離を詰めてくる。その末にとことん好くかとことん嫌うかのどっちかになる(気がする)。なんか、俺の地元だと1回悪いレッテルが貼られたら10年単位で剥がれなくなるかんじ。子供の頃からそんな風に育つ。
あの警官を名乗る生ゴミはどっちだろう。土台には田舎があるのかもしれんけど、ちょいちょい本土に行ってるっぽくてその影響か都会も混ざってた気がする。パブでコルムと仲良く(?)話してた時は、具体的にはなんとも言い難いけどたぶん都会的なかんじが出ててコルムに好かれたんだと思う。一方でパードリックのロバが死んだと聞いてそれは朗報だと悪態をついた時は、意味も理由もなく他人を嫌って不幸を喜ぶ田舎的なところがコルムの逆鱗に触れて見事なアッパーカットをくらったと思う。「田舎的なところ」といえど、さすがにあんなのは見たことないが。

都会的な人は都会的なかんじを相手に求めて、田舎的な人は田舎的なかんじを求めた。それがこのコルムとパードリックの件で、会話1つ取ってもコルムはaimless chattingと表現してパードリックはgood なんとか chattingと表現した違いに表れてる。(good lovely chattingとかそんな風に言ってたっけ?まあいいや。)コルムはほどほどの距離感を求めて、パードリックは親密な距離感を求めた。
コルムはべつに、パードリックだから嫌いというようなかんじでもないんだよな。嫌いになったとは言ってたけど、距離を取ってもらうための口実に過ぎないかんじというか。でなければ警官に二発殴られて倒れたパードリックを助けない。そう思うと、行為を憎むか人を憎むかの違いもあったかも。本作における田舎的な人というのは、行為とか言葉による快・不快の表明が行為とか言葉そのものじゃなくそれを発した人に向いていた。思いもよらずコルムが原因でロバのジェニーが死んだことで、パードリックはコルムが死ぬまで彼の命を狙い続けることにしたのが印象的。べつにコルムはパードリックに黙ってほしいから彼に一発かますみたいなことはしてなかったのに。

他にもちょいちょいそういう対立があった。
郵便局兼店のあの人伝に聞くゴシップくらいしか生き甲斐がないみたいな婆さんは、シボーン宛の手紙を勝手に開封して読んだ。まさか今回だけそんなことをしたというわけでもないだろうし、他の人への手紙も日頃普通に開けてるんだと思う。当然シボーンは不快に思う。そんなシボーンを婆さんはつまらないやつだと思う。
彼らはどうやら根っから違う常識が魂に刻まれているかのように価値観がまるで違う。それも正反対な価値観。そりゃあ対立する。

時代背景として、内戦が繰り広げられていた頃の設定だった。これまた根っから違う対立した価値観から生じていたものだったのかもしれない。歴史が不勉強なのでその頃の内戦のことはわからないが。
最終シーンにて、コルムは内戦の砲撃の音が止んだと述べ、パードリックはまたすぐに聞こえるようになると言った。この共同体の中での対立は終わらない。根っから違う、もはや変えようのない価値観なのだから。本作における田舎的な人について、シボーンは手紙で「悪意」と表現した。そういうものなのだろう。たぶん、互いが互いを悪意の者と思い合っている。


価値観といえば、コルムと警官がパブで話しているときにパードリックが絡みに行った時にもその違いが表れていた。
一人での思考の時間を大切にするコルムにとっては、その思考の結果が残ることが価値となる。一方、他者との関わりを大切にするパードリックにとっては、その人の人となり(優しさとか)が価値になる。

それにしても、パードリックが母さんも父さんも優しかったしシボーンも優しいし俺はそれをずっと忘れないみたいなこと言ってたのは響いた。泥酔するといいこと言うな。俺もそういう気持ち大切にしたい。
じゅ

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