なべ

イニシェリン島の精霊のなべのレビュー・感想・評価

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
3.9
 予告編を観たときから、「あ、これ絶対おもしろいヤツやん!」と楽しみにしてたマーティン・マクドナーの新作。きっと「スリー・ビルボード 」みたく偏見や思い込みをぐちゃぐちゃにしてくれるに違いないと期待したのだが…なんか思ってたのと違う。決しておもしろくないわけじゃないんだけど、どうにもあと味が悪い。
 当初はアイルランド内戦の寓話かと思ったが、どうもそれだと座りが悪い。そんな話だとしたらとてもつまらないのだ。例によって町山智浩あたりが独善的にそんな見方を押し付けてるようだが、それでは理屈が立たない。ではなんの話なのか。

 先日、一緒に観た友人と、パードリックはどの程度馬鹿なのかを論じ合った。ドミニクは発達障害(あるいは軽度の知的障害)だと思うが、ぼくはパードリックも小学校にギリギリ普通クラスに入学できるレベルだと思ってる。ロバのうんこの話を2時間続けるあたりからもその様子が窺える。だいたいロバと一緒にいるってところからして“おまえら気づけよ”ってサインじゃんね。だってロバは愚か者や無価値なもののメタファーなんだから。

 つまりこれは、“小さな共同体で、馬鹿の面倒をひとりで引き受けるのはキツイよ”って話なのだ。もっと噛み砕いていうなら、「自分があとせいぜい10年しか生きられないと気づいたとき、最後までこいつの面倒を見るのはつらい。そもそもなんで俺なんだよ。いつの間にそんなキマリになってんだよ。これまでの数十年、朝から晩まで一緒にいてやったんだから、もういいだろ? 俺はやりたいことがあるんだ」ってこと。うわあ、やな話だな。
 コルムをはじめ島民は誰もパードリックが馬鹿だとは言ってないけど、“退屈な奴”が“意味するところは明らか。絶交して一日中家にいるとなったときの妹の反応が如実に物語ってる。めちゃくちゃ嫌がってたでしょ。てか、誰も「おれがいるじゃないか」「俺がおまえの友だちになってやるよ」って言う奴がいないって事実が厳しい。
 コルムは音楽活動をしたいのに、パードリックは遠慮というものを知らない。いや、そもそも自分が邪魔者だと気づけない阿呆なのだ。
 あまり大きな声では言えないけれど、距離を置きたい奴ってクラスにいなかった? 気のいい奴なのはわかってるけど、関わるとめんどくさい奴。ちょっと甘い顔をするとまとわりついて離れなくてうざったい奴。そいつと時間を共有すればするほど、自分の世界が狭められてしまうっていうのかな。パードリックがまさにそれ。自分が嫌われた理由は知りたがるけど、コルムがやりたいことには無関心。これって結構邪悪。
 作曲が終わって、そろそろ絶交状態も緩和していいかなと思ったコルムが、去り際のパードリックの言葉に全身が凍りつくシーンがあったでしょ。それまでが穏やかな空気だっただけに、かなり戦慄が走ってた。はあ〜、馬鹿は嫉妬するのも悪気がないのな。無邪気な悪意でコルムの大切な(インテリジェンスのある)仲間を冷酷に傷つける。無慈悲で平然としたパードリックにゾッとしたわ。
 悲しいかなこの邪悪さは、罵倒しようが殴りつけようが治らない。馬鹿だから。
 ぶっちゃけ、ぼくはパードリックのような奴と関わりたくない。でもそれは口に出さないし、そういう気持ちは心の奥の方に隠してる。
 できればそっとしておいてもらいたい問題を、この映画はとぼけた顔して抉ってくる。これは心穏やかではいられない。最初にアイルランド内戦のメタファーだと思ったのも、とっさに気がつかないフリをしたかったんだと思う。
 でもアイルランドの内戦のメタファーだとすると、指を全切断する罪悪感と途方もない絶望感が宙に浮いてしまう。あれはパードリックを拒絶する自分への罰なのだから。

 これでも自分はそこそこいい人間だと思ってるのだが、ことこの問題に関してはいい奴どころか卑劣なのだ。認めたくないけど。
 おもしろいのに楽しめない、見終わってモヤモヤする…これはそんな厄介な映画。満点でもいいんだけど、モヤモヤしたり楽しめないのが悔しくて3.9にした。

 上に町山智浩の名前を出したので、映画ファンとして彼のことをコメントでちょっと付け足し。

追記
 これもハッキリ明示されてないけれど、コルムはゲイなのかなとちょっと思ったのでこれもコメ欄で触れておく。
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