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イニシェリン島の精霊のベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

正直言って今作を観ているうち、自称「いい人」と言いながら相手の気持ちを察してやれないパードリックのバカバカしい言動に段々腹が立ってきました。

あれだけ拒絶されて話し掛けます? コルムも丁寧に「今度話し掛けたら自傷する」とまで言ってんですよ!

確かにコルムの度を過ぎる行動にも疑問を抱きましたけど、それでも再三再四話し掛けるパードリックの無神経さに、本当「もう、ええって!」と何度も呟いてしまいましたよ。

それと島の住民たちもうんざりすることばかりで、結局誰にも感情移入できず、作品を観終わってからも「こんなのどこが面白い?」と、Filmarksでのこの作品への高評価に、ちっとも納得できていない自分がいました。

そんな気持ちを残したまま、皆さんのレビューを読んでいると、あるフォロイーさんの文章から「ホモフォビア」という言葉を見つけたとき、話の点と点が繋がったと言うか、最後の一手でオセロの駒が全部ひっくり返ったような思考の逆転で完全に脳内がスッキリできました。

なるほど、それが分かると島の人たちの意地の悪さや突飛に思えるコルムの行動、邦題である「イニシェリン島の精霊」など、全てが繋がっていることに気付きます。

本作でマーティン・マクドナー監督が、コルムの深い心情を安易に示さなかった演出には感嘆させられます。語らずとも、時代背景などを加味さえすれば、コルムがパードリックを拒絶する理由もなんとなく分かって来ますよね。「ホモフォビア」というワードを見た途端、初見では分かりづらかった内容も、綺麗な文脈となってスラスラと読み解くことができました。

時は1923年4月1日(偶然にも視聴日から丁度100年前の話)。場所は本土で内戦が繰り広げられている、“イニシェリン島”という架空の島。現代とは真逆な時代背景と極端に狭いコミュニティ。本土で行われている対岸の内戦。

多様性という言葉が当たり前となった現代人にとっては、イニシェリン島の住民言動にはいささか怒りを覚えることもあるでしょう。時代背景や生活環境を加味したとしても、他人の手紙を勝手に見たり、権力を傘に警官が横行したり、神父が信者に向かって「地獄に堕ちろ」と叫ぶ人間性に眉を細めたくなるものです。

“現代の価値観”と“イニシェリン島での価値観”

この作品は二つの価値観のズレを感じることによって、初めて物語の意味を理解できる構造になっているのではないでしょうか。

100年前のカトリック、しかも小さな島ですから同性に愛を感じてもそれは内に秘めるしかありません。その比喩として上手く表れているのが、北アイルランド紛争を想起させるような対岸で行われているあの内戦です。

対岸のこちら側では、本土では何を理由に戦っているのか皆目検討がつきません。しかし戦いの火種にはなんらかの事情があるものです。それと同じく人は悩みさえすれば、事情が他人に知られなくても自分の中では激しく葛藤し、独り孤独に闘っていくものです。人の心の内にあるものは対岸からでは目がとどかず、それを他人から直向きに隠そうとするなら尚更です。

コルムは自分で作曲した「イニシェリン島の精霊」というタイトルの意味をパードリックにこう伝えます。

「この島に伝わる精霊は、死を予知して泣き叫ぶというが、多分奴らは死を眺めて楽しむだけだ…」と。

これは全くもって勝手な憶測ですが、この話を深読みすれば、ここでいうとこの精霊(Banshees:バンシー)とは、老婆のマコーミックのことを指しているのではないでしょうか。

コルムはこの物語の前夜(3月31日)、マコーミックに突然予知めいた言葉で、自分が同性愛者だと言い当てられたのかも知れません。それでいえば“死”とは平穏な日常の“死”。いままでの日常が壊れること。それを眺めて笑うのはここの島民。コルムはこの先何年生きるか分かりませんが、生きている間、そうやって笑われて生きていくのが耐えられなかったのだと推測できます。

例えそんな事実がなかったにせよ、彼は敬虔なカトリック教徒です。神に懺悔すらできない罪の意識を抱えたままでは、いつまでも平穏な時間は訪れないのです。

だからこそコルムは精霊に笑われないよう、自分の気持ちを隠し、閉じ込め、闘わせ、ネガポジ反転させるように自分の気持ちに嘘を付いて、奇行を通し続けたのだと思います。

そうやって僕の中で腑に落ちたとき、最初に抱いた作品の印象がガラリと変わり、とても良い作品だと感じることが出来ました。それも素晴らしいレビューを書いて下さった湯っ子さんのおかげです。ありがとうございました。とても参考になりました!

それにしても、動物たちの演技が凄すぎます。ロバのジェニーやワンちゃんの演技が超絶かわいい! それを見るだけでも作品を、観る価値ありますよね。
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