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BLUE GIANTのSQURのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
2.0
ひとつひとつのシーンを取り出すと熱量のあるエモいシーンばかり。泣きそうになったシーンも多いけれど、1本の映画として見たときに何を描かんとしていたのか分からず焦点がぼやけている。
魅せ場だけで繋ぐいわゆるジェットコースター的映画近年は多く、マッドマックスFRを始めレヴュースタァライトやRRRなど熱狂的な人気を獲得しやすい王道の成功パターンなのだが、焦点を欠いた本作はケレン味だけのダイジェスト映画の感が強い。特に主人公たちの人となりが伝わってこないのは痛い。

そして、これは本作だけの話ではないが、「並外れた芸術」を演出するパターンが既に飽和してしまっていると思う。スポットライト等の光の強調、グッと近づくカメラ、顔だけを映した接近したカット、驚く観客の顔、過去の回想、謎の空間、タッチの違う作画、時間軸をずらしたシーンのカットバック等々。これらはその"芸術"が素晴らしいことを観客に実に分かりやすく伝えてくれる。しかし、わかりやすいことと、芸術に感動することは本質的に真逆なのではないだろうか? 最初見たときは感動したこれらの演出も、最近ではまたこれかと辟易としてしまう。本当にこれは素晴らしいのか?という猜疑の中で、観客自らがその価値を見いだせるようなそういった"芸術"を見せて欲しい。それがない以上、この映画自体が、小手先の技術に偏重した、臓器がひっくり返るような熱量を欠いた映画ということだろう。
また、数え切れない程の演奏シーンの演出パターンがほぼワンパターンなのも本作のダイジェストぽさを加速させている。上記の「芸術に感動するシーンのクリシェ」に加えて、汗が空中を舞うカットは3回か4回、もしかするとそれ以上に繰り返された。ストーリーラインに合わせた、物語を汲み取る演出はほぼ見受けられない。また、演奏シーンになると途端にアップテンポでカットが切り替わるようになるが、これもずっとハイテンポのままで抑揚がない。従って、演奏シーンは全部同じに見える。ラストの1シーン以外いらなかっただろう。

最後に、これも本作に限らない、日本の漫画・アニメ業界全体に言えることだけれど、"社会的に認められる"ことを最終的な目標に据えた上で、才能か努力か、技術か熱意か、といった二項対立を迫るパターンがあまりにも多すぎる。そしてその勝敗は、勝ちか負けかといったこれまた二項対立によって評価される。
ヒーローVSヴィランといった安易な対立構造を安易に使うことがこの20年くらいで陳腐とされたように、この成功ー失敗スキーマの消費期限も近いように思う。
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