ネノメタル

BLUE GIANTのネノメタルのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
5.0
1.This is the LIVE
いやこれめっちゃスゴい!!!最高すぎる!!!圧倒的すぎる!!!
もう恐れ入りすぎました!!!!
冒頭からうるさくて申し訳ないが、本当にそうなのだ。
なんとなく原作漫画でチラッと聴いた話やポスター・ビジュアルの感じから「JAZZに魅せられた若者たちの青春物語」というイメージがあったのだが、もうそんな甘っちょろいものではなかった。
そしてこれは「映画鑑賞」とかいうレベルすらも超えてもはや宮本大率いる「JASS」というジャズバンドのライブを各々の人間ドラマ含めて同時に体感する感じ。そりゃ感動するよ。
だから本作はライブよりも遥かにライブのダイナミズムを内包してると言っても過言じゃあるまい。
先日私が体験したような、無駄に金だけ取られれて、変な振り付けを強要されて盛り上がったことにされてしまうゴミみたいなライブや、そんなに盛り上がっていない客に文句言うカスみたいな演者のライブや、パフォーマンスは大したことないくせに物販での商魂だけはたくましい某バンドのライブ(全て実体験です)よりもう100000000倍以上は素晴らしくて最高なのである。これ観たら何百人、いや何千人もの「自称アーティスト」が存在意義を失うんだろう?とそこまでの破壊力を有する映画作品、もといライブ映画である。もうこんなレビューや予告編やもはや原作マンガさえもすっ飛ばして観るべきだと思う、話はそれからだ。

2.What is the LIVE?
しかも、である。私が体感したのはTOHOシネマズの大スクリーンでDolby Atomsの高音質爆音の最高の環境のライブだったので最前席ど真ん中に座って正解だった。多少見上げる感じになるが見えにくいのもライブの醍醐味だ、もはや望むところである。
 時に我々が、LIVEステージ上で繰り広げられる素晴らしいパフォーマンスに立ち会った瞬間、心臓がバクバクして、心が躍り、魂が震え、思わず喜怒哀楽の何者でもない涙が溢れる事があるが本作はなぜそういう現象が生じるのか、という命題に対して一つのアンサーを提示してくれる。
本作で「JAZZを理解する人は少ない。」「最近はJAZZを聴いてる人(=若者)が少ない。」みたいな台詞があるが、これはJAZZに限らず他のROCKやPOPSに関しても同じ事があてはまる。我々が本当に心震わすLIVEとは演者の人生観や思いが演奏にぶち込まれる時に限るんだけれど、そういうLIVEに出くわすことは100行って5あれば御の字なぐらいでごく僅かである。だからこそJASSのメンバーに私が普段観てるバンドマン達の姿を重ね合わせたりもして...
そして本作は別にJAZZに特化した話ではないと思う。モードやビバップなどの特定のJAZZのスタイルに拘泥する余りJAZZ自体がコンサバティブな音楽として捉えられてしまうような現象はポップスだろうが、ロックだろうが、メタルだろうが、パンクだろうがどの分野でも起こっていると思う。そもそもヒップホップのダボダボっとしたジーンズのずり下げ状態(正式には"sagging"と言うらしい)なんぞデトロイトあたりの囚人たちが逃亡しないようにベルトを取り上げたことが発端になっているのだ。それを80年辺りのヒップホップのブラザー達が真似たことが発端だと言うのがあのダボダボパンツの起源だと言う。だから今のヒップホップの連中たちが揃いも揃って腰の位置までお行儀よくベルト調節してマイク預けてとかどうちゃら抜かされても本当にヒップホップって言えるのかよって話。
 そして今の音楽界隈には残念ながら本作の宮本大のような圧倒的カリスマがいない。まあでもああいう感じの存在はスポーツ界隈にいて、それこそ宮本大は大リーガー・大谷翔平のような存在だと思うんだけれど、そんな大谷的なミュージシャンは日本はおろか、世界中探しても皆無だと思う。
だから我々は彼の姿に音楽の理想を見出し熱狂するのだ。彼の存在は音楽業界の欠落部分を埋めるピースになっているのだと思う。
だから私はもう一度彼らのライブを体感し行こうと思う。

あと原作はSupreme編とか宮本大が海外進出以後も色々続いていってる訳で今後続編もあるだろうなという予測も織り交ぜてこのレビューを終えたい。
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