河

アウトサイダーの河のレビュー・感想・評価

アウトサイダー(1981年製作の映画)
3.8
その場で自分に求められている役割としての行動を拒否し、自分含めた目の前の人間を優先する人として主人公がいる。その背景には演奏よりもお辞儀で拍手が起きるような演奏家としての過去、注射を強制してしまったことで起きたトラブルや、全員に等しくルールやノルマが義務として課される共産主義社会自体などがあるんだと思う。役割で繋がれた妻や社会から見ると主人公の行動原理は果たすべき義務を放棄していることになる。その行動原理の結果として若い頃からの仲間を断ち切れない。主人公がそのまま大人になった姿として、ベートーヴェンのエピソードを話す中古のおしゃぶりを渡す人がいる。主人公はモラトリアムとしてその社会で求められた役割を果たす、大人になることと自身の行動原理の間を葛藤する。そのモラトリアムを強制的に終わらせるように、絶対に従わないといけない義務として徴兵状が届く。最後は、大人になった一方で、音楽を愛し続けていて他人からは少し疎まれる、その行動原理を奥底で持ち続けているような存在として主人公の将来の姿が映る。
『ファミリーネスト』から引き続きクロースアップが映像のほとんどを占めていて、動きのあるクロースアップとないクロースアップが対比的に使われている。演奏やディスコなど始終音楽が鳴っている映画で、ディスコでの口論など、その動きのないクロースアップに高揚感のある音楽が被さるシーンに、他の映画で見たことないようなかなり特異な感覚があった。それもあって、何かすごく不思議な感触のモラトリアム映画っていう印象だった。
家族になる難しさを当時の社会、役割下での他者との共生の難しさのモチーフにしてるなど『ファミリーネスト』と共通する部分が多い一方で、それが一気に背景化してかなりパーソナルなモラトリアムの話になっているように思った。自伝映画的な感じなんだろうか。

追記:
『ダムネーション』を見た後だと、クロースアップが先を見通せない時代背景に、動かないカメラが主人公の感情の動かなさに、そのカメラが急に動き出して関係ないとこを映し出すのは主人公の現実から遊離した感覚に対応しているように思う。結婚相手と親密になっていく会話シーンすら退屈さ、空虚さのようなものを持っていて、見ていて退屈だけど、実際こういう会話って見てても話してる側としてもある種退屈なものだとも思う。また、この親密さと感情の動かなさが同居したような感覚が『ファミリーネスト』での喧嘩シーンの険悪で感情が動きまくる感覚、せわしないクロースアップと対になっているようにも思う。そう思うとあのシーンの退屈さは意図されたもので、すごいシーンだったのかもしれないとも思う。
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