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ブラック・フォンのhorahukiのレビュー・感想・評価

ブラック・フォン(2022年製作の映画)
3.5
記録です。

『サマーオブ84』や『ディスタービア』のような隣人殺人鬼系に近似の設定。『ヒドゥン』等々に代表されるような時代性の反映を、監督の幼少期におけるノースデンバーで試みた、自伝と創作の融合作品。原作はジョーヒルの短編らしいが未読。教科書的な青春映画の趣きあるプロローグから一転して不穏が忍び寄るオープニングにかけての「日常と隣り合わせの危機」感覚が、犯罪系ドキュメンタリーに造詣の深い監督のらしさなのでしょう。そしてその雰囲気が非常に『シニスター』っぽい。

その地続きの感覚は常に嫌な空気を作品に纏わせていて、誘拐事件、家での虐待、学校でのイジメと、フィーニーにとって心休まる場所も助けを求める先もない。父親による虐待は冒頭のコーンフレークとビールの映像によって的確に匂わされ、その後にベルトによって観客にとって表面化する。同様のベルトをグラバーが手にしていることから、両人を象徴の視点で近似の存在だと意識づけしているのがわかる。そうであるならば、繋がらない黒電話は、フィーニーにとっての救済されることのない現状(決して届かない叫び)の表象であるように感じる。そしてそれがあの世と繋がることからも、デルトロ的な子供のイマジネーションによる現実への反抗を強く意識させるとともに現実の無情さを痛感させる。実際に監督は『デビルズバックボーン』を参考にした作品のひとつに挙げている。

最初に繋がる相手であるブルースの反応(生前フィニーとした印象的な会話を反復すること)が、既に生物的応答のできない死者との交信感と隔絶感に溢れているし、『オルフェ』のラジオのようなアナログ端末が禁忌と結びつくのは、理由はわからないながらもなぜか妙な説得力を感じさせているように思う。古いビデオカメラ映像もそうだけれど、明瞭ではないが故の映り込む余地のようなものが、混線等起きる不安定な通信端末にもあるからなのでしょう。

そのブルースとの会話を見る限り、『イメージズ』的な自己の深層との会話によって脱出(物理的にも環境的にも)へと導くかのような展開を予想したが、見ていくとそこは違っていて、前述のデルトロ的要素が非常に強くなってくる。『デビルズバックボーン』の戦争を(当時の)危険と隣り合わせの現実に転換させ、その現実に子どもたちのイマジネーションが抵抗を試みる。最初の電話がなったのは、グウェンの祈りに合わせたタイミング。ここで2人のイマジネーションが混線したことの表明であろうし、途中の喧嘩のシーンも含めて、グラバー、父親、イジメっ子、敵だらけの現実に子ども2人(と被害者である子どもたち)だけで立ち向かわないといけないというやるせ無さが辛い。

『ティングラー』も監督の思い出を反映したものらしいけれど、湯船からの手は母親の喪失感を表しているようにも思えるし、イマジネーションの根元も母親であるし、最後のグウェンの決定的幻視は湯船からであることを考えるとそういった意図を持たせているように思える。過去作『NY心霊捜査官』では感知する能力が神による贖いのチャンス提示(過去に向けたもの)であったわけだけど、今回は未来に向けた予防として、両者とも子どもと親を主軸に据えた関係性修復の力であるのが共通項として考えられる。もちろん『シニスター』とも。

そして恐らくグラバーもフィーニーと同様の存在なのでしょう。ただ、グラバーはイマジネーションに頼らなかった。本作のイマジネーションは殺されたものたちとの連帯だけでなく、友人や分かり合えた者との共闘であり、兄妹の協力でもある。言ってみれば自己以外の他者との関係性。その関係性でもって牢獄的現実に立ち向かったフィーニーに対して、拒否したグラバーは対極的な道を歩むことになったのだろうし、ある意味ではグラバーはフィーニーの将来可能性として本作開始時点では有力株の位置付けだったのだと思われる。また、グラバーと弟が殺害シーン以外では不自然に同じ画面内に映らず、仮面被って普通に寝てるグラバーに弟が気づかないわけもなく、現実味にかける点を考えると弟は自己を罰することを望む超自我的なペルソナの性質を持たせていたと考えることができると思う。

ある意味でグラバーの写見的存在である父親も二面性を持っており、作中でグラバーが殺害したように悪性が善性を抑圧していたわけで、あの顛末によって悪性が滅して善性が前面へと浮上する脚本はわかりやすく丁寧だし、イマジネーションが現実に向けた力となることをラストシーンで明示したのも、関係性への信頼を根本にした心の持ちようであるという帰結となっていて綺麗。

演出面では、スローモーションと寸前での暗転が実録犯罪感を煽り、ロビンの際は(意図的に)サスペンスが欠けていたけれど、ブルースの際はそれまでの爽やかさからの急降下に至る流れの手際が鮮やかでOPのその手のドキュメンタリー番組感を含めて抜群の効果を発揮していたように思った。以降、スローが時報的役割を果たし、フィーニーも最低限で不穏がアピールされていたし、緻密に練られている印象を受けた。地味にプロローグ時のロケットも常に解放の表彰としてクライマックスまで居座っていながらも、電話と結合するところに孤独からの心的変遷が見られて良かった。



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