春とヒコーキ土岡哲朗

デューン 砂の惑星PART2の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

地形も立場も、主人公にとってつらい環境。


時間をかけて砂の惑星に浸らされる。

前作同様、長い時間をかけてゆっくり景観や暮らしぶりを見せられる。砂という難しいフィールドに人間が用心しながら生きているのが、非日常の世界を味わっている気がして嬉しい。
砂の描写が細かくて、乗り物の巨大なタイヤがゆっくり動くときにタイヤの溝から毎列砂が落ちてくるところは、リアルが追及されすぎていて見惚れてしまった。
砂の危険性を形にしたような「砂虫」が今回も出てくるが、ポールが砂虫を攻略して手名付けたときは、砂漠自体をある程度攻略した感じがした。

一方で、文明は結構しっかりハイテクなのも面白い。服装や日常的な暮らしの部分は古めかしいけど、武器や重要な部分はハイテクもある。
敵の飛行機をバズーカで撃ち落とそうとしたらもう一人の敵が背後にいたので、対飛行機用のバズーカを至近距離の一人の敵に撃つところは豪快だった。死体から水分を抜いて貯蔵する装置も、ハイテクだし、彼らの生活においては重要でまず作るべきものなのが説得力もあった。


救世主のプレッシャーにされされる2作目。

立場が上の王家による不当な圧力に立ち向かう、王家版の半沢直樹みたいな話。それで前作は主人公の家がしっかりとある状態だったが、前作で父は殺され、今作では主人公と母だけが砂の民とともに暮らす。前作では父の無念を背負って立ち上がる勇ましさが描かれたが、今回は救世主という役割を担えるかのプレッシャーと葛藤する姿が終始描かれる。

ジェダイになったルークが葛藤する『帝国の逆襲』、アベンジャーズになったスパイダーマンが葛藤する『ファー・フロム・ホーム』のような2作目。
引っ張るヒーローになりたいと思って、いざなったら求められる立場で自由がないことに不安と疲れを感じてしまう。
そこで「知らん。おれは信じてるんだ」と言ってくれるスティルガーの態度は、プレッシャーの元凶でもあるけど、自分で自分を信じてなくても別の人が信じているならきっと救世主なんだろうと思えそうな勢いがあって、信じることはそっちに任せればいいか、と思えそう。

砂虫を操縦できたところでの第一関門クリアの興奮がこの映画で一番よかった。
他のグループの砂の民も集まっての会合で、しきたりを破ってでも「おれが救世主なんだ。しきたりよりもおれについてこい」という態度は、覚悟が決まっていてかっこよかった。覚悟が決まっていると同時に、周りの人に覚悟を決めさせることでやっぱりここで自分の覚悟を決めている瞬間でもあった。

しかし、帝国と戦う覚悟を決めるとなると、華やかなヒーローでは終われず、ダークサイドにも片足をつっこんで映画が終わる。
ヒロインのチャニがいながら皇帝の娘をめとるという結末。自分の心もチャニも裏切って、そこまでしないと救世主の責務は果たせない。主人公が葛藤を乗り越えた結果、本人も愛する人もつらくなるところに行ってしまった。そのシビアな世界観がかっこいい。


スター・ウォーズっぽさ。

この映画を観たノーラン監督が「帝国の逆襲のようだ」と称賛したという前情報があったので、どこがそうなんだろうと思って観に行った。
まずはやはり、自分が救世主の看板を背負えるかプレッシャーに悩みながら修行する辺りがまさしくという感じ。

そこで十分納得していたのだが、終盤で「血筋」という形で驚きがあり、こんな直接的な意味だったのかとびっくりした。

デス・スターのようなものも出てきた。スター・ウォーズはデザインの面でも後世に影響しているが、過去に頓挫したホドロフスキー監督版のデューンがもし作られて大ヒットしていたら、そっちのデザインが主流になってスター・ウォーズ的なデザインは残っていなかったかもしれない、と言われている。そんなデューンの映画にスター・ウォーズっぽさを感じるデザインが登場するのはなんだか面白い。

ポールが皇帝を退けてトップに立って映画が終わる。その点は、『最後のジェダイ』でまだ完結編じゃないのにカイロ・レンがスノークを倒して最高指導者になったことを思い出した。もう一番上になっちゃって次回どうするんだ?という状況に興奮もあるが、スター・ウォーズの場合はやっぱりやることがなくなりパルパティーンを叩き起こしていて、寂しかった。デューンではどうなるのか楽しみ。