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デューン 砂の惑星PART2のレインシンガーのレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.0
いろいろな方のレビューを読むと、「優れた映画なのだが、面白さや満足感としてはもう少し・・」といったものが多いように思う。
そして、自分の感想もその通りなので、なぜそう感じてしまうのかを少し考えてみた。

そもそも原作はファンタジーSFの古典であるわけで、古典であるからこそ「精神的に古い」部分がいっぱいあって、特に話の骨子である「見るからに白人種である主人公」が、敵対する貴族の陰謀によって、親族を皆殺しにされて、「見るからにアラブ系の異人種である人々=フレメン」の世界に入り込み、実力でその人々の信頼を勝ち取り(あまつさえ、その中の美女と恋もして)、やがてその人々を率いて、仇である貴族や王家を倒していく、というストーリーは、ワクワクさせてもくれるが、ある意味「いい気なもんだ」という設定でもある。

「アラビアのロレンス」とそっくりな構造だが、「アラビアのロレンス」を作り手たちが「心躍る物語」と終始させられなかったように、本作の作り手たちも、だからこそ、このPART2の後半で、主人公の人格が変化していくさまを追わなくてはならなかった。
ただ、ロレンスの変革が「歴史の必然」であり「大国の横暴に対する個人の敗北」という、だれが観てもわかりやすい物語であるのに対して、本作の主人公ポールの変化は、本人が「勝つためにやむを得ず取った行動」なのか、歴史的なある種の呪術の中での運命的な「必然」なのか、その辺がはっきりしない。

そして、そのポールの変化に注視しすぎるあまり、166分という長尺を費やしながら、フレメンと帝国?側の闘いの変遷もかなり端折られ、後半はモヤモヤしすぎることになっている。
それなのに「映画的カタルシス」として、クライマックスは「みごとなチャンバラ活劇」を見せる。
だから、観客の印象は「テーマ」「主人公の立ち位置」「活劇」の3つがごちゃごちゃのまま終わってしまうのだろう。

もちろんパート3の作成が決まっているのは喜ばしいことだし、ガジェットや撮影の革新的手法、音の表現やサンドワーム乗りのシーンの興奮など、映画として優れているのは重々分かるのだが、さりとて、この映画を観て「よーし、やった!」と感じることはないのも確かだ。
ドゥニ・ヴィルヌーヴとしては、かなりエンタテインメントに振ったパート1もパート2も、やはり作家性が強すぎたのかという感触。パート3こそ完結篇だと思うので、もうちょっと腰を据えてエンタメ性を高めてくれると嬉しいな、というのは幼稚な感想だろうか。
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