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カッコーの巣の上でのotomisanのレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
4.1
 "Cool hand Luke"の時代なら手っ取り早く縦型の棺桶、独房に放り込むなり、痛めつけるなり、所内で手の施しようがあったのだろうが、それから十数年後、世間の何がどう変わったのか、人道配慮なのか、そんな身体的苦痛で反抗的受刑者を懲らしめるのはもう古いというわけか?少なくとも議論だけは行刑による改善矯正、再犯防止の考えが目的未達成として批判され犯行に対する懲罰を主とした考えに傾いてゆく時代だったらしい。
 いずれにせよ、昔のルーク同様63年のジャックも刑務作業付きの施設に入れられていた模様だが、注意すべきは、日本の刑務所のそれが受刑者に手に職をつけるよう促し出所後の就労の便益とされるべく、社会復帰と更生、再犯を抑止する事も意図したというのと異なり、アメリカでの刑務作業とは受刑者を懲らしめるための痛苦として課するのを通念としたようで、さらには民営刑務所で奴隷労働との悪名もたつほどに営利目的の受託業務に就かせる傾向が強い事が特徴だそうだ。

 実は厄介払いだったに違いない、「カッコーの巣」の中に放り込まれたジャックを見れば、刑務所での嗜虐的労働強制(なんぼかジャックの私見なんだろうが)へのサボタージュぶりも想像がつくだろう。そこで狂気を装えばルークの様に独房には入らず医療施設に移されて患者様、労働からも解放されるだろうと調子のいいことを考えたのだろうが、精神病院もまた無為の楽園なんぞではなく、ともすれば刑務所以上の束縛を強いる場所、つまり、子どもとおイタで短期有期刑のジャックであっても治療効果を認められなければ無期限の拘束があり得る、病院をからかい倒し反抗を続ける限りほぼ終身刑を覚悟しなければならない、という事である。自由を拡張し世間に抗うジャックの魂は我が身の置かれた状況を知れば知るほど、事が荒立つのを承知でも体制への反抗の疼きが止まないのだ。

 出す気がないなら出ていくまでだと思ったはずのジャックが再度で最後の脱走を図りながらなぜか出てゆかない。セラピー仲間を巻き込んで、希望すればいつでも退院できる彼ら自主入院の連中の立場を悪くさせる事は百も承知のCool handが、深夜のお別れパーティーを最後っ屁、ツケをみんなに押し付けて出てゆく積りだったろうに、ビリーの筆おろしの成果が気になるのか、チーフと別れられぬのか、羽目の外しっ放しで生きてきたジャックの理解を超えた、周囲と自分との溝に悩む自主入院者たちの何かがこころ置きになるのか、のちの運命を多分想像もできないまま朝寝してジャックは御用となる。

 脱走は三度目の正直でいいやとあの晩思ったなら、病院を舐めてかかったという事だ。はなから仮病を察してきた病院はジャックを精神病より質の悪い、連鎖的犯罪嗜好者として危険視している。そんな見込み通りに殺人未遂や自殺幇助までエスカレートしたジャックは一線を越えたことにも気づくまい。
 それを野放しにできないのは本来警察と司法であるが、他方、この63年とは通称「ケネディ教書」、「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」の発せられた年であって、精神病治療の脱施設化を促すこの指針は当然この病院の存廃を左右し、精神病医療の根幹、収益構造と人事を含む病院間連携の体系を揺るがす事態である。手に負えない重篤患者としてロボトミーを施して永続的ケアを要する患者を作ることはみみっちい話だが病院経営上の人質作りにもなる。「病的」ジャックはその天然自然ゆえに自分からそれに嵌るのだ。

 そんな魂を抜かれたジャックを病院の意図を蹴散らすようにチーフが息の根を止めてやって暴力脱獄を図る。カナダまで一目散に走るチーフが捕まってどうかなるのか、ルークの様にカナダから誰か宛に手紙をよこすのか、死ぬまで抵抗したルークが最後の奴隷なら、チーフは奴隷以下の扱いを否認する最初の元患者かもしれない。
 自由の使い方を逸脱しがちなジャックだが、ジャックなしにチーフのこころをほぐせる者はおらず、この徒花咲かせ無しにチーフの花道を飾る自主入院者らの「楽園」も開かれなかっただろう。善悪の切り分け、「善」というのも気が引けるが、それはこのように難しい。
 志があったわけではないジャックが結果、ジャックに全幅の好感を認めたわけでもなかろう謎めいたチーフになにか志しを芽吹かせて、出てゆかせたとも思えない。しかし、チーフの聞こえず語らずの素振りでひとたび背を向けた世間を生きなおしが始まるとは思わないまでも、ジャック似の父親の血が我が身に実感できたなら、父親とは違う、またジャックとも違う生き方を探る足掛かりを求める意欲も生まれたのではないか。

 他方、温情の終身刑となったG・ケネディを語り部とするルーク伝説が残されたように、終身入院したそうなチェス達患者らの秘密として、壁を破ったチーフとその背を押した海の男ジャックの物語が語り継がれるような気がした。
 それがなにかの力となるのか、精神病医療の脱施設化と地域ケア導入が進んだ75年当時、大病院は1/3まで減少したものの、すでに脱施設化の費用のかさみ、地域ケア体制の不充実、放出患者の人身保護の不備、犯罪への巻き込まれや治安の悪化、受け入れたコミュニティの疲弊など弊害が多数報告されていたという。病院を出された自主入院連、彼らもまたあれら暴挙の数々で片棒を担いだ記憶をこころの杖にできたのか、当時の観衆もいかに想像を逞しくしても到底至らなかったろう。

 囚人と精神病患者どちらも世間が一歩引く存在に違いない。その交じわりに立ったジャックが当人の標榜する通り、おいらの自由は天然自然で、なんてやはり認め辛いが、このトリックスターはどこか懐かしい。
 旧大陸から旧弊を振り捨てて未開地に踏み込んで来た昔のアメリカ人の香りが漂うようである。そんな時代には戻れないと分かっていながら、その夢を軌道修正しつつ叶える役に先住民のチーフを配し、防衛側に権力者、白人看護長と皮肉を交じえるつもりか公民権の引き換えで配下とされた?自信に満ちた黒人看護師連を対置させ、その攻防を見つめるのは外征、経済、内政で失速続き、大統領まで犯罪疑惑の末、出口模索の自主入院中、落ち目のアメリカ諸氏である。
 その突破口はやはり価値判定未着手な荒野にありと叫ぶような最後だが、いつでも出られるが誰でも出られるわけではないと冷や水を浴びせるようでもあった。しかし、冷や水にたじろいでいてはやはりどこにも向かえないのだろう。チーフを覚醒させ自身は道半ばに斃れたジャックがその証人のように感じられた。
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