Ginny

カッコーの巣の上でのGinnyのレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
5.0
泣いた。
今まですみませんでした(土下座)(こんな名作を遠ざけて生きてきたことに対する謝罪)

早速脱線しますが、星野源の『POP VIRUS』の中の「Pair Dancer」という曲。
初めて聞いた時、歌詞のあまりの素敵さに泣けたんですね。
聞いたそのままの、星野源が操る日本語がスッと自分の中に溶けて理解できた。

それなのに、星野源はこんなことを語っている。

――「間違う隙間に愛は流れてる」という歌詞があるんですけど。取材でこれはどういう意味ですかと聞かれたんだけど、答えられないんだよね。そういう言葉って作詞をする時に結構あって。どういう意味ですかと言われても、いやわからないからこの言葉で書いてるんですと。この言葉でしかこの感じって表現できないんです、って言うことがあって。――

こんな興ざめするような質問をしてしまう音楽ライターがいることに私は驚いてしまいました。言葉で明確に、白黒はっきりと、答えと間違いと、嘘と真実を、何でも言えると思っているのでしょうか。なんて狭い世界で生きてきたのかな。
歌詞は歌詞で。表現した通り。それ以上でもそれ以下でもない。

そして、映画もそうであると思っている。
分析して考察して。それもひとつの楽しみではあるけれど、人の心へ届く映画でそれを行うのは野暮ではないか、と思う。

この映画は、人の心へ訴えかける映画だ。
技巧的な映画ばかり賞賛するのではなく、自分の頭と心で映画を理解するのもいいんじゃないかな。

舞台は精神病院となっているけれど、この中で起きていること、この中の人々、これは精神病院に限られたものではないとも受け止められると思う。
世界がもし100人の村だったら、みたいに、世界が・社会がこの映画に凝縮されているように思えた。

それくらい、精神病院の働く人の態度がとても煩わしく、人を人と思わず矯正を強制する姿勢に怒りがわいた。
あたかも自分たちが「正常」と思い勘違いしているさまがむしろこっちからしてみれば滑稽だしぶんなぐってやりたい。

お前らは、何を発端に自分が「正常」と思っているか知らないけれど、お前たちが思ってる「正常」の基準である社会や常識は単にお前らが作っただけだよ。自分たちが作って決めて、運よく適合できただけで、良かったね、偉そうにできて。
と社会不適合の自分は思います。負け惜しみかなあ。

でも、劇中の、病院患者の、みんなではしゃいでいるシーンのあの笑顔。
あれが、生きてるってことだと思う。
ルール、恐怖、脅迫、圧制に縛られず、人を傷つけるものではなく、みんなで楽しめることで心の底から笑う。

だからこそ、最後の方のあの展開が悲しくて、恐ろしくて。
通電(松永)でも酷いと思ったのに。
悔しかった。
人間の、一人の人の尊厳を踏みにじられた。
それは、それを尊重してほしいと思う私の心も踏みにじられた、優位に立ちたがる勢力に傷つけられた、痛い痛い傷だった。
でも、負けない。

2016年の4月に、偶然見かけたお寺の標語に衝撃を受けた。
自分の今の人生が、そうだ!と雷を受けたかのような衝撃。

『人と人との出逢いほど 不思議でかつその人の一生を変える大事なものはない』

ジャックニコルソンの演技がとっても素敵で、とにかく素敵で、かっこよくて、心躍って。
私にとっては、いや、もしかしたら多くの人にとってあの人かもって思った。

あの出逢いが、病棟のみんなにとってこれまで気づけなかった幸せ・楽しい気持ちのきっかけだったはず。
それはこれから先どんなことがあっても誰にも奪われない自分だけのもの。

悪意ない悪意に傷つけられても、その人たちは味わえない知り得ない至上の幸福を知っている。それを忘れずに希望をもって生きてほしいなと、この映画を見て共感・感動できる人たちに思う。
Ginny

Ginny