コザカナカルシウム

もっと超越した所へ。のコザカナカルシウムのレビュー・感想・評価

もっと超越した所へ。(2022年製作の映画)
3.3
クズ男を依存させる体質の女達が、クズっぷりに我慢の限界を越えることで、相手と自分に向き合おうと決意する話。

この映画の構成って面白くて…
第一部:現在のクズ男との生活
第二部:過去のクズ男との生活
第三部:現在のクズ男との対峙
第四部:自分との対峙、そして未来へ
とつながっていく。

女達がスゴイ剣幕で「おかしいことをおかしい」とぶつける「クズ男との対峙」はスカッとする。新しい世界へ旅立っていきエンドロールが流れて…
と、ここまではよくある映画なんだけど、「前田敦子」のエンドロールが流れた瞬間、破棄されて再び映画の世界へ戻っていく。
この演出が肝になっている。遊び心満載の山岸聖太監督らしい。

ここから始まる怒濤のクライマックスのために第二部があったんだね。現実と映画の垣根のない感じは、寺山修司の舞台にも通じるわ。

「超越した所」っていうのは、どういうこと?
女達の下した決断は、よかったの?
仮のエンドロールで物語が終わりクズ男と別れていたら、女達は同じことを繰り返していただろう。それは、前田敦子が冒頭のスーパーで5キロの米を買っていたのと同じシーンが、仮のエンドロール前に繰り返されていたことから暗示される。
とすると、その決断は良くないはす。

「自分にも悪いところはある」と自分を見つめる場面で(結局ここが分からなくしている要因なんだけど)折り合いをやっていくしかないという旨のことを言っている。つまり、「超越した所」というのは、人間は完璧じゃないんだから、お互い向き合って「正反合」で折り合いをつけるしかないよね…ということなのかな?

もとは下北沢で上演された劇だったと知り納得した。そして、クドカンの「不適切にもほどがある」に通じるミュージカルっぽい現実感のなさ(笑)。全然ミュージカルじゃないんだけど。

とにかく、良い意味で見終わったあとモヤモヤが残る映画だった。良い違和感というやつですわ。