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ウーマン・トーキング 私たちの選択のayのレビュー・感想・評価

3.0
Filmarks試写会にて鑑賞

覚悟あるいは態度を示すための映画だな…、というのが第一印象。監督のサラ・ポーリーをはじめ製作陣や演じる役者だけでなく、みる人も含めて。甘さがなくてとても厳しい。想像以上に政治的なイデオロギーが強くもあった。

閉塞感の強い小さな宗教コミュニティでの集団レイプ被害者の女性たちが、自分たちはこれから男性たちにむけてどう立ちふるまうか、間近に迫った期限を前に納屋に集まって議論して、おたがいに判断を問う。赦すか闘うかそれとも出て行くか、このままだと誰かを殺すかも、怒りの矛先をどこにむければ…。 
褪せた色あいのカラーグレーディングが印象的な映像で、レイプの描写は最小限にとどめられてて特に加害者の様子はほとんどわからない。加害者をあえて匿名的な扱いにしたことで、具体的な特定の物語というより、世の中の全男性にたいする全女性の連帯の表明というシナリオの主張がほのめかされる。映画のなかの主な登場人物は、やさしい物腰のベン・ウィショー以外はほぼ女性。

私自身女性だし、配慮のない扱われかたやマウントに悲しい思いをすることは日々当然のようにあるけど、かといって女性=被害者という枠組みに自分がとりこまれるのもすごく息苦しくて、映画のあいだずっとしんどかった。ラストの方向性は女性=被害者からの脱出を意図してそうだけど、問いの核心に迫れたとか、何かが解決したという腹落ちは特にはなかった。あと、作品のキーワードの"赦し""信仰"が、女性たちの議論のなかでその定義が高められて新しい言葉として開発されてたかというと、正直そうでもなかった気がする。

映画の前提にあるボリビアのマニトバ・コロニーで実際に起こった事件の知識は特に持たないまま作品をみて、極端に残虐で女性にたいして差別的な事件だったことはあとから知った。自分が自分の運命を決定する主体であると感じられてない女性たちの、実際の被害トラウマや独特の宗教観と風習について理解して心を寄せるかどうかでも、受けとめかたがかなり違ってくる作品じゃないかなとは思った。
https://www.vice.com/ja/article/59kgex/ghost-rapes-of-bolivia

サラ・ポーリー自身が10代のときに受けた性被害のトラウマが濃く反映されてもいるので、開かれた映画として、善し悪しを語りにくい面もある。

そして、この、すっきり感のなさこそ、サラ・ポーリーの映画なのかもしれない。
彼女の家族の秘密を扱ったドキュメンタリー「物語る私たち」をみて以来、サラ・ポーリーの聡明さと、ウィットに富んで創造的で賢い作風のファンだった。自分の家族を取材するのも徹底的で、思いがけない事実に意表を突かれても、自己憐憫や露悪にはむかわずに身内の罪や嘘まで受け入れる。どんな状況でも"家族"という概念を覆してまでも、出来事の別の一面を探す姿勢で、自分の思いこみや囚われも根気強く掘ってく。そんなラディカルな姿勢のなかにもどこかあたたかい慈愛が感じられる彼女の作品のありかたが、好きだった。
本作、Women Talkingには、もっと差し迫ったもの、赦すことは耐えることと同義にもなるという突き放すような厳しさを感じた。女性であることをみつめ直す、そのみつめ直しかたがやっぱり肝が座ってて、宿命を断ち切る、運命を終わらせる的な理想論の結末でもなくて、"女性"の存在の不安定さを受け入れるしかないけど、だからこそ私たちは連帯しましょうという、追い詰められたもの同志のゆるぎない決意。
 
サラ・ポーリーにとって、作品づくりは単純に説明しにくい感情について話す、とても大切で切実な手段なんだろう。
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