しの

ウーマン・トーキング 私たちの選択のしののレビュー・感想・評価

3.4
言葉や文字を奪われ、都合の良いルールに支配されていた女性たちが行う「議論」という行為自体がドラマとして力強いし臨場感があった。投票を行って民主的に対話を重ね、思考し、自分たちの行く末を自分たちで決定することがいかに主体的な行為か、改めて思い知る。

直接の加害者であり支配者である男たちは画面から排除されていて、被害に遭った際のカットも全て最低限の事後描写になっている。劣悪な支配そのものより、女性たちの議論による主体性の回復の方を強調することで、むしろいかに彼女たちが客体として扱われてきたかが際立つ作り。

最近でも、議論や対話の様子を映し続けて「赦し」に至るか否かのプロセスを体感させる映画として『対峙』があった。それぞれ扱うテーマは違うけど、分断の時代を経て、何かを自分の言葉で考え、思考し、議論するという行為の重要性が増していっているフェーズなのだろう。その観点で見ると、本作はよりプリミティブなものを提示していると言える。言葉を発し、文字で記録して残し、そして語り部によって次世代へと伝えられる。舞台はずっと納屋のなかで、彩度も低く、見方によっては単調だが、非常にドラマチックで重要なことが起こっているのだ。

この議論のなかでも特に凄いと思ったのは、「赦す」という行為を疑うに至るまでのプロセスだ。彼女たちにとって「赦す」ことは信仰と結びついていて、もはや自分たちのアイデンティティなわけで、その前提について改めて思考していくあたりは悲痛ながら非常に知的だなと思う。結論はシンプルだし、あの農夫に任せる内容については「それ本当にできるか?」とも思うのだが、しかしあの状況と世界認識からその結論に至ること自体凄すぎるし、言葉も文字も持っているはずの我々でさえここまでの議論ができるのかというと……改めて身が引き締まる思いだ。
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