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ウーマン・トーキング 私たちの選択のumisodachiのレビュー・感想・評価

4.8


アカデミー脚色賞受賞作。

ある宗教的コミュニティで、村の女性たちが眠らされている間に暴行されるという事件が多発。彼女たちの妄想だと思われていたが、目撃者が1人を捕まえたことにより加害者が発覚。加害者たちは警察に連行され、村の男たちは彼らの保釈を求めて2日間だけ村を離れることになった。その間に女性たちは「赦す」「闘う」「離れる」という選択肢の中からひとつを選ばねばならない……。

対話映画。3世代の3家族(実質的には2家族)が展開する議論と、それを見守る唯一の男性。女性は教育を受けられないために学がない彼女たちだが、限られた語彙を駆使して根源的な対話を繰り返し、互いを見つめあってひとつの結論に辿り着くまでの過程を描いている。

途中からはちゃめちゃに泣いてしまった。「赦す」「闘う」「離れる」の他の選択肢をひとりが提示し、その選択肢がいかに非現実的かを皆で笑いあうところでドバドバ涙が出てきて、その直後に「心から泣きたいとき、人は笑うものだ」みたいなナレーションが入ったものだからもう……。

教育の権利を奪われ、決して逆らうことを許されず、暴力にも耐えるしかない彼女たち。「コミュニティを裏切れば神の国に入ることができない」という宗教的な枷はあまりに重く。彼女たちは生存権と神の加護という究極の選択を迫られている。(この時点で詰んでいる)

【以下、ネタバレあり】












しかし、辛抱強く対話し続けることで、彼女たちは異なる地平を見出していく。暴力の末にあるものは死に、あるものはトラウマに苦しみ、あるものは怒りを滾らせ、あるものは諦めてあたかも平気な顔をして暮らしている。でも、彼女たちは皆同様に傷ついているのだ。そのことを認め合い、誰にも傷つけられるべきではないこと、子どもたちを誰にも傷つけさせたくないこと、というシンプルかつ絶対的な思いを共有していく。そして、「自分たちが傷つけられず、誰かを傷つけないためには、ここから離れるしかないし、その気持ちを神が受け入れないはずがない」という結論を導き出し、絶望的かと思われたジレンマを解消する道を対話の力によって獲得していく様子は力強く、感動的だ。

暴行の結果として妊娠しているオーナ、その姉のサロメ、その母親、多産で夫の暴力に耐えているマリチェ、その娘、その妹、その母親、など彼女たちは血縁関係があるのだが、最初の内は全体像が把握しきれないので少し混乱する。また、唯一の男性として登場するオーガストが全体のバランスを支える役割を果たしていて、傍観者ではあるが責任を持つ人間として観客と視点を共有する。

特に、思考を辿り問いを提起し、ひとつひとつ確かめるように対話を進めていくオーナが印象的。彼女は前半と後半で意見を変えるのだが、その過程に真実味と説得力がある。なによりも、愛する人がかつて村を追放され、ようやく戻ってきたのにまた離れないといけないという状況なわけで……ううう、つらい。

私は元の事件を知っていたので最初からこれが現代の話だということは了解していたのだが、そうでない人はかなりビックリするであろう年代の明かし方も上手くて、『Day dream believer』の使い方も巧み。オーガストが口ずさんでるのも良かったなあ。彼は、大学で教育を受けて流行りの音楽を享受することもできたんだよね。彼女たちと違って。その対比が鮮やかだった。

平易な単語のみで、ひとつひとつのセンテンスも短く、スラングなども交えずに会話が展開していくので、英語のリスニングにうってつけ!という感じの映画でもあるのだが、それだけに根源的かつ本質的なセリフが多くて刺さった。ForgivenessとPermisshonの違いとか、去ると逃げるの違いとかね。

白眉だったのは、思春期の少年たちについてオーガストが述べるシーン。教育の重要性と子どもたちへの影響と可能性に関して、とても真摯に語れていたと思う。だからこそ、離脱に同意しない息子にサロメがした行為(男たちにやられたことを男/息子にやり返す)がショッキングだったわけだが、それもまたリアル。

終盤で歌われる讃美歌は葬儀の際によく歌われるもので(タイタニックが沈没する時に演奏されたことでも知られてると思うけど)、彼女たちの決死の覚悟と信仰心が表れていた。

そして、最後の言葉に込められた想いが、おそらく本作に込められた願いのすべて。珠玉の対話映画だった。




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