じゅ

ウーマン・トーキング 私たちの選択のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

マーラさん眩しい。てかオーナの物静かで聡いかんじまじでかっこいい。
まあそういう風に観る映画じゃないんだろうけども。


2010年、とある宗教が根付く村。朝目覚めると股に痣や出血の痕が付いているという事件が少女らに相次いだ。皆は夢とか悪魔の仕業だと言った。もちろん、夢や悪魔の仕業などではなかった。夜這いの男が馬の鎮静剤で少女を昏睡させて犯していた。とうとう見つかった男は逮捕されて連行されたが、村の男たちが総出で保釈金を支払に出かけた。女たちの心にはわだかまりが残った。彼らが帰ってくるまでの2日の間で、彼女らはどうするか考えた。赦すか、去るか、闘うか、投票の形で意見を集めると、去るか闘うかが同数で割れた。彼女らは去るか闘うかで話し合うことにした。
彼女らは教育の機会を与えられず、読み書きができなかった。そこで、大学というところを出て教師をしている男に書記を頼んだ。彼には、母が村の体制に疑問を抱き他の女たちを説得して声を上げようとしたことで、一家全員で村を追放された過去があった。
闘争を望む者も、去ることを主張する者も、その主張は皆や次の世代を暴力から護るためだった。誰もが抱える怒りは、強姦魔の男へ、黙認される構造を作り上げた代々の村長へ、そして問題を受け入れてきてしまった自分たちへ向かう。
赦し(forgiveness)とは何か、善とは何か、彼女らの想いの根底に共通している信念を確かめ合い、ついに女たちで村を去ることを決めた。愛した者を残して去る女を、男が涙ながらに見送る。何頭もの馬と馬車を従えて列を成して歩いていく女子供たちを見て、それでも赦しを選んだ女は自宅に戻る。
これが、自らの未来を選び抜いた女たちの物語。次の世代やさらに次の世代の者には、きっと異なる物語が待っている。


語りの声が成人女性っぽいかんじから少女っぽいかんじに変わってた。たぶん、オーナが性暴行で身篭った子どもとかが語ってたんだろうな。その少女の声が語るには、子の物語はきっと母のものとは違うというような内容だったっけか。
まあ、違うだろう。動物用の薬で眠らせて犯して全員で隠蔽する自治体なんて、2010年の世にそうそうないだろうし、その点では安全安心を得られるはず。ただ、問題を1つ潰したら次の問題に突き当たるのが世の常(だと俺は思ってる)。あんな大集団で移住する先が見つかったとして、たぶん、議論の中で挙がったように学がなくて読み書きできないことの問題もあるだろうし。今まで住んでいた村ほど閉鎖的な場所もそうそうないだろうから、ある意味では近代化された、またある意味では国というでかいシステムに組み込まれてそのルールで動く、そんな新天地でうまくやっていけるかという問題もあるかも。(あるいは彼女らで新しい村を築き上げたってのもなくはない?)そういうわけで、良い意味でも悪い意味でも母のとは違う物語が待ってるって言ってたのかなと思ってる。

どうあれ、語る声は少なくとも後悔とか出ていくことを決めた親世代への恨みに満ちたようなものではなかったと思う。であれば、出て行った先でそれなりに生きていけてるのだろう。彼女らの未来に幸あれ。


なんか、1つ綺麗なままではいかないなと思ったのが、サロメが息子をいくらか暴力的な手を使って強引に連れ出していたらしいところ。ぼんやりした感覚だけど、ここで言った「綺麗」というのはたぶん、将来の世代のために自分の大切なものを投げ打つこと。「綺麗」というのは筋書き的な見方で、彼女らという人間を見るなら「強い」とか言った方が適切かもしれない。
オーナは、誰の子かも分からぬ子を宿したまま愛し合ったオーガストと別れることに決めた。オーガストもそれを受け入れて、死のうとすら思ったけど踏みとどまった。オーナは我が子の世代を村の暴力から遠ざけて守るためで、オーガストは暴力を黙認する村の風習を教育の力で変えていくためだった。
サロメは彼女の14歳の息子を力ずくで連れて行くことにした。オーガストの知見では、14歳とは善悪の見境が上手くつかない一方で有り余る活力を発散させたがる年頃で、性暴力の加害者になり得る年頃とのことなので、連れて行くことは推奨されなかった。それに、息子自身も残りたがっていた。それでもサロメは、愛する息子を投げ打つことはできなかった。
まあ元々サロメは残って闘う派の人だったし、「ここに残ったら人を殺してしまう(だから善じゃない)」ってことで急に去る側に移っても去る代償までは急に受け入れられんわな。

ところで、将来世代のためというのが今回の決断の目的の1つだったとして、14歳の少年という1人の将来世代を仮に置いて行ったとしたら、それは彼のためになっていたのだろうか。
村に残したとして、誰がこの少年の世話をする?唯一信頼に足るオーガスト?少年が働く歳までオーガストが世話するとして、村の悪習はオーガスト独りで変えられる?つまり、去っていった彼女らが正しいと思う価値観をオーガストが学校で教えることを、村の権力者や他の男たちの妨害なく成し遂げられる?相当難しそうだな。
対して、連れて行く決断をしたところで、あの少年による性加害の危険はどの程度なんだろう。今や集団の中での力関係やルールは大きく変わった。14の少年がどの程度の脅威になり得るだろう。まあただ、元々出ていきたくなかった不満の鬱積が、肉体的にも強くなった20代前後くらいに爆発したらおっかないな。たぶん誰も止められん。
そんなことを思うと、彼女らの価値観に沿ってみると、たぶん村に残っても未来はない(ほとんど何も変わらない可能性が高そうだ)から、サロメが連れ出したことは結果的に正しくて、ただし相当なケアは必要そう。


残った人たちはどういう心境だっただろう。誰も名を教えてくれなかったけど、フランシス・マクドーマンドの人。投票の結果では赦すことに入れた人は決して1人や2人ではなかったから、残ったのは彼女だけではなかったかも。
出て行く者たちを愚かだと思っただろうか。この村の宗教の教義に反して、地獄に堕ちる行為だから。教育の機会を与えられなかった彼女らにとって、この宗教は唯一の真理なんだろうな。それで人間が形作られていて、世界が動いているみたいな感覚。たぶん意識への根づき方とか重要性は、俺らでいうところの数学とか物理学とか化学とかくらいのものと想像してる。想像するに、赦しを与えず出て行った連中は、俺らの感覚でいうなら巷に溢れるなんちゃってサイエンスにほいほい釣られる者たちを見てるようなもんなのかもしれない。
そのくらいの心境だったら全然良い。中には最後まで迷った末に行動に移せなかった人もいたかもしれなくて、それだったら不憫だなと思う。

残った人はつまり赦しを選んだということだと思うけど、本当の赦しなんだろうか。作中でも誰かが言及してたけど、赦し(forgiveness)と許可(permission)は違う。
言葉の定義が難しいけど、でも超賢い指摘だと思った。たぶん、赦しとは自分の心からするものだけど、許可とは規則とか取り決めみたいな外的要員に沿ってやるものなんだと思う。つまり、許可というのは自分自身の意に沿ってない。

きっと、彼らの宗教の中で汝赦しなさいみたいなことを言われてきて、それがいつしか村の中のお咎め無しルールになっていったのかも。ある女が、男に文句言ったことも意見したことも食卓で塩を取ってと頼んだことすらもないと言っていた辺り、元々男の権力が強くて、女が割を食う立場になりやすい構造だったのかな。村の成り立ちのことは一切語られなかったから知らないけど、元々男が強かった村に宗教が入ってきて、女が割を食って男にはお咎め無しみたいな構図が一層当たり前になってったかんじなんだろうか。まあその辺りは本題じゃなくて。
大事なことは、たぶん赦しって、一旦むしろ「許さねえぞ!」っていう姿勢をとってぶつけるべき気持ちをひとしきりぶつけた後にやっと生じるものだと思うんだよな。それがおそらく、安直な「赦しましょう」っていう取り決めで事を荒立てないのをよしとする風習になってってしまった。そんな風習のもとで育った彼女らは、実は「赦し」と「許可」の区別が付いていないかもしれない。
残った者の中に実は最後まで悩んだ人がもしいたとしたら、その悩みの理由の1つは自分が「赦し」としている気持ちが本物か迷ったところにあったかもしれない。全く無根拠の想像だけど、不憫だ。


そうだ、水入りバケツをぶん回した少女。
それができればべつに大学は行かなくてもいいかもしれないけど、でも遠心力なる知識が宇宙の塵の一粒だと思うくらい学問の広さを思い知ることも絶望的で興味深くていいぞ。
じゅ

じゅ